天気が良かったので久しぶりに西湘さんぽに出かけました。
写真多め&長文なのでお暇な時に読んでください。
この日は道路状況の都合で、午前7時過ぎに小田急小田原線の開成(かいせい)駅前に到着。
当初組んでいた予定よりも1時間以上早いので、徒歩で隣駅の栢山(かやま)駅方面へ。
最近、あまり歩いていなかったから運動不足解消にはちょうどいいかも…と思い直しました。
そのくらい歩く気満々。
うっかり途中の写真を撮りませんでした。
最初の目的地、小田原市栢山(かやま)の善栄寺(ぜんえいじ)到着。6年前にニノキン先生(二宮尊徳先生)像を探し歩く散歩で訪れています。
あれ?この辺りに正座して筆を持っている金次郎像があったのだけれど…。
いま、お寺さんの厨の改修工事中だそうで、どうやら像が移動しているみたいです。
以前だと安全第一と書かれた養生幕や赤いパイロンがある辺りに像がありました。
ここは、ニノキン先生のご親族と本人のお墓(遺髪と歯の骨のみ)があります。
そして今回の目的はこちら。
木の影になっていて非常に分かりにくいのですが、右側が木曽義仲のお墓、左側が巴御前のお墓。
6年前、初めて善栄寺を訪れた際にも見てはいたのですが、なんで木曽義仲?なんで巴御前?ととても違和感を持ちました。
木曽義仲は今の長野県木曽町辺りを本拠地にしていたし、巴御前はその後和田義盛の妻になって和田氏は三浦半島が本拠地だから、どうしてここなのかな?と。伝説としてこのお墓があるンだろう、と思った次第です。
善栄寺は巴御前が亡くなった木曽義仲と和田義盛を弔うために作ったそうですが、和田義盛のお墓は見かけませんでした。
そのため当初はそれほど大きくなく、小さな庵程度で、和田合戦後に巴御前がここに落ち着いたと私には思えました。
相模国と伊豆国の国境に近い地域だけれど、甲斐国への街道にも近いから、ほどほどに生活もしやすかったのかもしれないし。
実際には後北条氏の時代に中興され、幕末にニノキン先生の報徳仕法で立派な御本堂を作ることができたそうです。
ここから歩いて南足柄市にある道の駅へ。
だいたい終始こんな風景の場所か住宅街を歩きました。
奥が富士山、手前の山が矢倉岳。
右側に連なる山は西丹沢(にしたんざわ)と言われる神奈川県の水瓶。
関東地方の中で神奈川県だけは水源地が全然違っていて、私は物心ついた頃から神奈川県で取水制限は経験していないンじゃあないかな?ほぼ記憶にありません。
今回も足柄平野の酒匂川右岸をウロウロしましたが、網の目のように張り巡らせた水路だらけで本当に水が豊富だな、と感じました。
酒匂川の扇状地の扇央部を扇頂方面に進んでいます。ゆえに体感しづらいですが、僅かに上り坂です。
どこまで歩いても同じような風景には驚きました。
今でこそ田んぼと住宅街が入り乱れていますが、40年前の足柄平野は「神奈川の穀倉地帯」と言われていただけあるな、とMIFさんの思い出話とともに感心しました。
南足柄市は富士フイルムの企業城下町。
その脇を通ってやっと道の駅が見えてきました。
この辺りを歩いていたら、足の付け根辺りが痛くなってきました。
普段、運動不足だからな、ちょいと反省。
この道の駅のマスコット。金太郎です。
南足柄市は金太郎のふるさととしてPRしています。
足柄辺りではこういう菊の仕立て方を「ざる菊」と呼んで、ざる菊園などもあります。
さすが道の駅でも展示しているのか…と思ったらこれは販売用。しかも1つ500円程度。
ちょいといいな、と思いましたが私には手に負えないし持ち帰れない…と鑑賞だけさせてもらいました。
この道の駅に立ち寄ったのはイラストレーターの「ツナ缶」さんの絵はがきが欲しかったからです。
ツナ缶さんの作品は、足柄平野(酒匂川右岸)の風景イラストがあってとてもステキ。SNSでこの道の駅で取り扱いがある…と書いてあったののですが、店内にはありませんでした。そして私がSNSで見かけた記述もいつの間にか無くて…。
あれは幻だったのかな?
絵はがきはいくら絵柄がステキでも、個人が販売しているものは紙が薄くて国際郵便では状況に耐えられないモノもあるので、なるべく実店舗で買いたい派の私にはちょいと残念。
今回は諦めました。
休憩所で栄養や水分補給をして、足の付け根をよく休ませてから、再び歩き始めました。
南足柄市からすぐに開成町に入って、吉田島高校のすぐ脇を歩き酒匂川を目指しました。
開成町から十文字橋(酒匂川にかかる橋)を渡って松田町へ。
松田郵便局に立ち寄りました。
道の駅で欲しい絵はがきが買えなかったので、郵便局窓口で購入できるダイカットはがきを購入。
足柄平野でダイカットはがきが購入できる郵便局は少なく小田原郵便局、小田原東郵便局、そしてこの松田郵便局の3か所。
この郵便局ではポスト型はがきが購入できます(ご当地フォルムカードは取り扱い無し)。
ここから寒田神社(さむたじんじゃ)に向かいました。
創建は仁徳天皇がご在位の時代…と伝わっているそうです。
ここの狛犬ちゃんは、台座が多分酒匂川の河原の石。
その石を積み上げて頂上に親狛犬。崖の途中に子狛犬を配置していて凝った造りになっています。
陰影が濃くて分かりにくいですが、鎮守の杜が紅葉とハラハラと落ちる葉でとても幻想的でした。
忠魂碑の奥に建物が見えました。
こんな建物あったっけ?と思い覗きこむと、小学校の新校舎でした。
校舎の窓から忠魂碑の裏側が見えるンですね。
でも今の学校教育で忠魂碑なんて習わないでしょうね。
私は子ども達に国のために戦え、とは言いませんし、思いません。
でも100年前はそうやって教えられたら子ども達が第二次世界大戦で戦って、それが正義だと教育された時代があったということを、忠魂碑は物語っています。
なによりも身近な平和教育になるので何世代にも渡って保全してもらいたいです。
しかもここの忠魂碑は、1923年の関東大震災で倒壊・破損したモノを継ぎ接ぎで再建しています。
忠魂碑の本来の役目と震災の記憶も伝えています。
この小学校の改修工事も長いなぁ、と思いつつ、校庭の片隅にあったニノキン先生像がどうなったのか気になりました。
小学校の近くの淡水魚水槽は以前のままです。金魚?なんだかムチャクチャ大きいです。
木造っぽい見た目の部分もありますが、それはデザインのようです。
まだ校庭部分は工事中ですが、あれはニノキン先生像!
多分以前は校庭の片隅で背中を道路側に向けていた、あのニノキン先生像かと思います。
今度は校舎に背を向けて、敷地の真ん中に置かれたのですね。
※カメラの望遠機能を使って、公道から撮影。小学校の敷地は関係者以外立ち入り禁止なので、勝手に入ってはいけません。
学校の敷地脇の道路。ベージュ色の部分は今回セットバックした部分かと思います。
以前のニノキン先生像はこのセットバックした部分のあたりにあったので、道路から眺める私にはちょいと端に追いやられていて可哀想だな、と思っていました。
今度は子ども達に囲まれることもあるかと思います。
さて学校の近くを歩いていたら、こんなスペースを発見。
まだ真新しいです。
公園と言うには小さく、ただベンチがあるだけ。
でもベンチには松田町の名前があり、町有地なのかな?不思議です。
JR東海御殿場線に小田急ロマンスカーの車両!
相互乗り入れのロマンスカーです。私も30年以上前に一度だけ乗ったことがありますが、疲れ果てていたので寝ていたら目的地に到着していました。
逆光ですが、いつもの到着地。
JR松田駅前のニノキン先生像。
ここでMIFさんと待ち合わせでした。
余裕があったら松田山ハーブ園にも立ち寄ろうと思っていましたが足の付け根が痛くてムリでした。
そしてMIFさんと落ち合うまで、距離計測アプリでこの日歩いた距離を調べたら…12キロでした。
普段運動不足なのだから、そんなに歩いたら痛いよねぇ、と思いつつ、でもこの程度で済んだかとも。
と言うことで、今私が歩ける限界は12キロ辺りです。
帰りはMIFさんと合流して帰宅しました。
が、このあと帰りがけに頭痛が酷くなり、あくびが止まりません。
おかしいな、と思い帰宅後に体温を測ったら、34.9度。
さすがに体温計が壊れているのかと思う測定値でしたが、本当にこの体温でした。35度台を下回るなんてこれはいけません。
すぐにお風呂を沸かして入浴。夕食は鍋料理で、七味唐辛子をかけて食べました。
体温が落ち着いた2時間後は、36.1度になり一安心。最近は低体温になることが少なかったのでちょいと気を抜いていたみたいです。
今回も遠くまで連れて行ってくれて、MIFさんありがとうございました。