先日、S叔母から午前中に電話が来ました。
私の父のことで何度か電話をもらっていましたが、いつも夜だったので珍しい時間だな、と。
父の入院や状態のこと、美術展へのお誘い、そしてS叔母自身の病気について。
この日初めて教えてもらいましたが、S叔母が乳がんなのだそう。
来月末に手術を受けるそうです。
あ、だから父の入院について、転院だとかもっといい医療機関にかかれ、とか言っていたのねぇ。
父の入院については、もうこの先何年も生きられるとは思えない状態です。
父が安心できる医療機関が1番いいと思えばこそ、私は今の病院でいいと割り切っています。
あまり終末期にあちこち転院させて体力消耗ばかりさせるのは、1日でも長生きしてほしいと願う兄や母の考えには合わないので。
でもS叔母は、転院させろと一点張り。
叔母の意見も分かる部分があるけれど、母の性格を考えると、転院させても結局は今いる病院に再度転院させたいと言いかねませんしね。
S叔母のように自分から行動できる人が世の中にそうそう多くはないわけで。
もし母が在宅で父の介護をすると覚悟を決めれば、それなりに選択肢が増えますが、母が父を在宅介護することはありません。
S叔母も30年ほど前に乳がんの疑いありで3年程通院していたそうですが、スッカリ忘れた頃に乳がんになっていた、そうです。
左胸全摘出をして、放射線治療やホルモン療法等はしない方針だとか。
私は亡くなった父方の祖母が乳がんで片胸を全摘出していまして、その傷跡を小学1年生の時に見てしまい、大変な衝撃を受けました。
もう45年近く前のことですから、傷跡もとっても大きくて…。
私には巨大ムカデかヘビがのたうち回ったように見えちゃったンです。
それ以前にも母の帝王切開の跡がかなり醜くお腹に跡が残っていまして。
将来、自分もああなるのか…と幼いながらも深ーく刻まれてしまった記憶になりました。
S叔母にはまだ2歳のお孫ちゃんがいまして、そのお孫ちゃんはすでにいろいろ背負うものがあるのですが、それ以上に乳がんの傷跡が心に刻み込まれなきゃあいいな、と思っています。
S叔母は頼りにもなるけれど、ちょっと毒っけもあるので、少々距離感が難しい叔母です。
S叔母が手術には不安があろうとも予後も含めてすぐに良くなることを期待したいです。