この日は農園のお手伝いがお休みだったので、午後は父のお見舞いで外出。
この日はちょっとだけ父が元気を取り戻しました。
元気…ではないですね。
元気なら退院できますし、病気だから入院しているのだから。
父の病気は病名がいまだ
たぶんパーキンソン病、でもパーキンソン病とは診断がつかず。
パーキンソン病(仮)の状態から進展せず。
そりゃあそうですよね、CVポートを付けて中央静脈栄養でずっと液輸で水分と栄養を与えているだけなんですから。
時々父が「オレ、メシ食ってない」と訴えるのがツラいです。
そうだよねぇ、口から何か食べたり飲んだりしたいよねぇ。
でもそれをやれば4回目の誤嚥性肺炎になる可能性が高いです。
そうでなくても3回目の誤嚥性肺炎はとても長引いてしまって、CVポート設置になったのですから。
私は仕方なく「介護士さんが忘れちゃったのかなぁ?あとで言っておくね」と言うしかありません。
父が少し認知症なのが救いかもしれません。
父はレビー小体型認知症(仮)なので、多少言うことがチグハグです。
多少整合性がなくても本人は忘れることがあるので私が助かっている分もあります。
毎回会うたびに私は怒られてばかりです(苦笑)
この日は父が「オレの足、付いているか?」と尋ねてきました。以前も「オレの耳、付いているか?」とも尋ねられました。
そのたびに父の耳や足を触って「今、私が触っているのは分かる?これがお父さんの足よ。ちゃんと付いてるよ」と伝えています。
父はパーキンソン病(仮)なので多少手足が動かしにくくなったりこわばりが出てきます。
だから父には「お父さんの病気は、手足が動かしにくくなることがあるからね、ビックリしちゃうかもしれないけど、取れることはないからね」と伝えています。
そのたびに父が初めて聞いたような表情をしたあとに「イヤだよ」と怖い顔をしながら言います。
もう発語も弱くて、聞き取りづらい日々が続いています。
父の意思表示がいつまでできるのかな?と漠然とした不安を私が抱いています。
それ以上に父は日々不安で仕方がないことでしょう。
父だって漠然と自力で立ち上がることはムリだと感じているようです。
私はいつも「早く良くなって…」と言いたいのですが言えません。
もう父が立ち上がることもなければ、ベッドの縁に腰掛けることさえ想像できなくなっています。
この状態で、もうすぐ転院予定です。
主治医が転院の移動をしたら、命の危険があるから躊躇しているというのに、母が転院をせっついてしまったので決定したことです。
転院先は自宅から近いというだけの病院です。
父はやっと今の病院に慣れてきて、今の病院がいいと言ってくれているのに。
ただ父は認知症がありますから、言ったことを簡単に覆すので本心が揺れ動くままに言葉にしてしまうのですけれど。
相変わらず私は自分の本心を隠しながら、四方八方の意見をただ聞いているだけです。
本心を言えば、父にCVポートで中央静脈栄養を与えないで欲しかった…。
不自然な生存を感じながら、父にやすらぎを説くのは正直ツラいです。
そしてこの状況は父に説明せず、母と兄の同意で行ったことなので、父に申し訳無いです。
その母や兄が毎日面会に来ないことにも私は困惑しています。
父にひとりぼっちの時間を長引かせて淋しい思いをさせていることに2人は何も感じないのだろうか?と。
なぜ父のお見舞いに行かないのか?と私が問えば、逆ギレされるし。
私はただ諦念を抱くだけです。
その諦念が父をこんな状況に置いてしまったのだと、一生抱える私の後悔なんだろうな、と思っています。
父が少しでも安らぐ環境を与えることができているのだろうか?そればかり考えてしまいます。