12日午後より協和地区の荒川鉱山の資料や松田解子の資料を展示している大盛館へ
荒川鉱山は明治4年に境の神宮 物部長之が初めたが不良鉱だったうえに排水に多額の費用がかさみ、明治6年破した、
その後盛岡の商人瀬川安五郎に払い下げされ、人員を増やし新体制で開発に着手した結果、大鉱脈を発見する
*荒川鉱山真景之図
*荒川鉱山稼業絵巻
*採掘された鉱石
順調に発展してきた荒川鉱山も明治17年溶鉱炉の火災、財政萎縮政策がもたらした銅価格の下落や
生産率の低下のため明治29年三菱合資会社に売却される
荒川鉱山の全盛期は明治43年から昭和10年までで昭和5年、銅の生産1894tをピークに資源は衰え昭和15年休山となる
三菱に経営が移った荒川鉱山を舞台に明治33年から明治45年まで、自分の母親を主人公に
鉱山で働く人々を書いたのが、松田解子の(おりん口伝)です
松田解子は鉱夫の父のもと1905年大仙市協和に生まれる
大盛尋常小学校卒業後鉱山事務所の給仕、タイピストを経て秋田女子師範学校に入学、
その後教鞭をとる、その後結婚し女工、保母、などさまざまな仕事に付きながら文学へと進む
底辺に生きる人々を書き続け、政治や社会の矛盾を鋭く追及した。
その後大盛館を後に 荒川鉱山跡地へ向かいます
*現在鉱山入口及び出口は抗内崩落のため閉じられている
*採鉱石を砕いた後に使用した沈殿槽
*溶解炉
鉱石と廃石に分離したのち、廃石は1個60㎏の塊にして積まれる
幾多の歴史を経て繁栄した荒川鉱山跡地を巡り、改めて史跡巡りの楽しさ、深さを
感じるとともに、先人が生きていた証にも触れる事が出来たと思いました。
これを企画運営していただいている サークルの執行部の皆様に感謝、感謝 です!!
ではまた