9月26日は最高の秋晴でした。 サークルの皆様と早朝から横手後三年合戦の史跡めぐりに出かけました。
10時ころ横手の後三年合戦金沢資料館に到着、
まずは 後三年の合戦についてのビデオ学習をし、それにまつわる絵巻きなど見学しました
*後三年合戦は清原氏が朝廷に対して反乱を企てたので、源義家を遣わしてこれを打った戦いとされているが、
もともとは清原一族の内部分裂で、相互の戦いの途中に陸奥守に赴任して来た源義家が介入したことで、事が大きくなったそうです。
事前学習後は金沢城跡と(金沢柵推定地)へと向かいます
金沢城跡は比高90mほどの山稜に築かれていた
、
*本丸 本丸は長軸80mほどはあって、居住性はかなり高い
本丸と二ノ丸との間の鞍部は兵糧倉跡だったという
地図上では 二ノ丸には現在兜八幡神社が祭られている
900年を経た現在は城壁などは見る事ができませんが、当時の痕跡を見たり、聞いたりする事で当時を想像することが
出来ました。
次に古戦場金沢柵(平安の風わたる公園)へ向かいます
この公園は、後三年の合戦の際の古戦場である西沼を中心に、平成3年に作られた歴史公園です
源義家が金沢の柵に向かう途中、この沼を通ったとき、飛んでいた雁が突然列を乱したことから、敵の伏兵がいることを察知し、難を逃れたという
*3重連の橋。雁がね橋
この公園には、合戦の様子を描いた壁画レリーフがあります
* 雁の乱れで伏兵がいることを察知し戦いをしかける源義家軍
合戦に登場した人物のブロンズ像どもあります。
* 清原家衡
*清原(藤原)清衡
* 源 義家
*清原武衡
後三年合戦の決戦場となった金沢柵の場所は現時点ではここだと言われていますが、
金沢八幡宮のある金沢城と言い伝えられたり今だ解明はされていないようです。
*今から900年前の平安時代の東北北部に勢力を張る清原氏(清衡、真衡、家衡、)の内紛で激しい攻防の末に
源義家が加わった清衡側の勝利で終結し、その後、清衡は姓を父方の藤原に改めて、奥州藤原氏の初代となって平泉を開き
約100年に及ぶ栄華を極めたが、義家の子孫にあたる源頼朝によって平泉は滅ぼされ、日本全体を支配下に置く武家政権が完成されたそうです。
*今回の史跡めぐりは、一言では言い表せないほど奥の深~いものでした、なにせ不勉強な私の頭の中は一日で沢山の知識を頂きパンク寸前でした
帰宅してから、資料を見直したり、ガイドさんの説明を思い出したり、撮影した写真を見たり、少しずつ整理することができます、
平安の風にふかれたとても充実した一日でした。 ではまた