花と動物大好きおばさん

趣味の洋蘭を育てながら愛犬との日々を送っています

夫が運んできた山の恵み

2016-04-23 22:16:02 | 日記

朝の散歩コースの桜もヒラリ、ヒラリ散り始めたこの頃です、夫が実家の近くの山から春の恵みを運んできてくれました。

行者ニンニクです→ ギョウジャニンニクという名前の由来は、山にこもる修験道行者が食べたことからよばれているようです

逆にこれを食べると滋養がつきすぎて修行にならないため、食べることを禁じられたとも言われている。

我が家では、おひたし や 卵焼きに入れて食べます。

 

*次は私の好きな、タラの芽 → タラノキはウコギ科の落葉低木でその新芽を(たらのめ)という、またタラノメは糖尿病の予防や悪化防止に効果があると考 えられるそうです。

*なんといっても天ぷらでいただく事が多いです、ほのかな香りとホクホク感がたまりません(おひたしや和え物にもいいそうです)

 

コゴミ→クサソテツ多年生シダの一種、へぇ~ シダなんだ??といまさらながらビックリ(゜Д゜;)

若芽はコゴミという、これは先端が巻き込んだ若葉の姿がかがんでいるように見えること、それに食用に出来る実質的な部分があるので「ミ」とするものだというそうです、ゴマ和えや天ぷらにしていただきます。

何気なく食べていた山菜には体に良いものが沢山あるんですネ、それに何といっても無農薬で、しかもタダなんです

アリガタヤアリガタヤと夫に感謝しながら、今年も山の恵みをいただき元気になるのでしたではまた。

 


花よりランチ

2016-04-17 20:47:00 | 行事

4月16日、最近チョットへこんでいる私を励まそうと友達がお花見に誘ってくれました。

場所は勢至公園です、秋田県にかほ市金浦にある秋田県で一番早くサクラ便りを届ける公園です。2つの沼の周囲に約1000本のソメイヨシノが

咲き、テレビでも報道されています。

友人の車で10時30分過ぎに出発、 気温は19°、快晴とはいえないがまあまあ晴れていい感じ、車は7号線を快調に走ります。

なんだかんだと話をしているうちに12時近くになったので、花見の前にランチにしようと(花よりランチ)と相成りました。

お店の名前は○○食堂なのですが洋食メニューもあり、さらに美味しいとの事でもうすでにお客さんが並んでいました。

こちらが洋食セットです お肉は秋田牛、エビの包みあげ、生ハムサラダ、コンソメ味の香草&山菜入りのリゾット、前菜などなど

女性好みの内容となっております

さらに、デザート&コーヒー付です

お腹を満たしたところで、同じエリアにある、産直の野菜やお魚屋を見て、買い物に余念がなのです、ああでもないこうでもないと

品定めをして、買い込む二人、クーラーボックスに詰め込み、ようやく目的地へ出発!!

竹嶋潟~観音潟までのコースをテクテク歩きながや桜見物です。大勢の人が訪れていました。

竹嶋潟から見た 鳥海山を背にした桜に感動!!、素晴らしい!!少し花曇りなのが残念ですが、そこを日ごろの写真の腕前を発揮して

パチリ、パチリ残雪と桜と一緒に見れるなんてラッキーテンションが

 

満開、の桜が水面に映っています

 

観音潟にはコガモの親子がのんびりとこれまた花見散策中です

 

桜見物を終えてから、同じ金浦にある白瀬 矗 の生家へと

白瀬 矗(しらせ のぶ)日本陸軍軍人南極探検家

文久元年(1861年)、出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)出身浄蓮寺の住職、白瀬知道・マキエの長男として生まれ

医師で蘭学者(漢学者とも)の佐々木節斎の寺子屋に入り、佐々木より北極の話を聞き、探検家を志すようになった。

     *生家(浄蓮寺)

この時佐々木は、白瀬に対し5つの戒めを教えた。

  1. を飲まない
  2. 煙草を吸わない
  3. を飲まない
  4. を飲まない
  5. 寒中でも火にあたらない

白瀬は18歳頃から守るようになり、生涯この戒めを守り続けたとされる

白瀬矗 像

白瀬矗のお墓

 南極へ出発する当初、日本国中で「小さな漁船で南極へ向かうのは無謀」などと散々な罵声や嘲笑があったものの、白瀬ら全員が帰国した際は日本中が歓喜に沸いた。各地での歓迎式典が開かれたほか、学術的資料としても南極の気象や動植物の記録、ペンギンの胃から出てきた140個あまりの石の分類も行われた。

しかし、帰国後、後援会が資金を遊興飲食費に当てていたことがわかり、白瀬は4万円(現在の1億5千万円)の借金を背負い、隊員の給料すら支払えなかった。自宅、家財道具、軍服と軍刀を売却して転居につぐ転居を重ね実写フィルムを抱えて娘と共に、日本はもちろん台湾満州朝鮮半島を講演して回り、20年をかけて渡航の借金の弁済に努めた昭和21年、白瀬の次女が間借りしていた魚料理の仕出屋の一室で死去。享年85。死因は腸閉塞であった。

今回、白瀬矗について調べてみると、栄光のかげに幾多の困難を背負い生き抜いた人物であった事を改めて知りました。(゜Д゜;)

 お花見だけではなく、その地にあった色々な文化や歴史も知ることが出来、楽しい一日となりました。

 

アットいう間に時間が過ぎて、夕日を背に家路へと向いました。

ではまた

 

 

 


お星さまになったマナちゃん

2016-04-12 22:49:14 | 日記

色々な事があり、3カ月ぶりにブログをひらきました。 

pcサークルの先生はじめ、日ごろブログを観てくださっている皆様には長らく更新できなく大変申し訳ございませんでした。

愛犬マナが今年1月から3カ月余りに及ぶ闘病生活を送っていました。

辛い治療にも頑張ってくれ、一時は回復の兆しも見え希望をもっていましたが残念ながら4月6日、12歳11カ月の生涯を閉じてしまいました。

マナは10年前に他界したひとり娘の忘れ形見でもあり、特別な存在でした。

いつも寄り添って、娘を亡くし悲しみのどん底にいた私達夫婦にとってどれだけ癒され救われた事でしょう、なのでいつしかワンコというより子供として家族の一員になっていました。

最後は育てた洋蘭の花に囲まれ、とても安らかな寝顔でした。

楽しい事、嬉しい事、沢山の幸せを有難う!!の言葉で見送りました。

今も、これからも、マナは私の心の中でずーと一緒に生き続けます。

もう少し時間が経過しましたら、また楽しいブログを公開したいと思いますので、今後とも宜しくお願い致します。

PCの先生へ いつも温かいメッセージありがとうございます、後日CD作りも頑張ります。

E女子さま一緒に泣いてくれてありがとう!