軍艦島(端島)は、
1810年頃に石炭が発見され、佐賀藩が採炭を行っていたが1890年からは三菱合資会社が本格的海底炭鉱として創業が開始されたそうです。
明治~昭和時代にかけて海底炭鉱(海底1000メートルの地点まで及ぶ採炭)として栄え
出炭量が増加するにつれ人口も増加し、5300人もの人々が住み、当時の東京都の9倍もの人口密度にまで達したそうです。
*長崎港 ここからクルーズ船の乗り軍艦島へ
*行く途中の長崎港には三菱造船所があり 軍艦 武蔵 はここで作られたそうです。
*30分ほど行くと 高島 に付き一旦下船して、軍艦島の1/100の模型や石炭資料館などで
予備知識を得ます。その後再度乗船して軍艦島へ向かい、ぐるっと1周します
*軍艦島の裏側です
*通常は1周して終わりですが、当日は風も無く、波も穏やかにて上陸も出来る事になりました!
*正面の船着き場から上陸します
*右奥には 小中学校(7階建)
1階から4階までが小学校、5と7階には中学校、6階には講堂、図書館、音楽室があり
体育館や給食設備なども新設され、給食を運ぶエレベーターもあり
さらに学校前にはプールもあったそうです。(すごいネ!!)
*左の高台にある建物は高級社員住宅。内湯を供えていました。崖の法面には緑の彩色の後を見る事ができます
また、学校の隣には、病院もあり、命がけで採炭に励む抗員や家族の健康を守ったそうです
*いちばん右端にある四角い窓のある部分は第二炭鉱へ行く桟橋の階段部分が残っています。
*赤いレンガ部分は鉱山の中枢であった総合事務所で中には大きな共同浴場があり炭鉱マンが
入浴するので、いつも真っ黒だったそうです。
*中央は、1916年に建てられた30号~31号アパートは日本最古の7階建て鉄筋コンクリートの
高層アパートで鉱員社宅、地下には共同入浴場、1階には郵便局や理髪店も設置され、
その他周辺には多くの建物があったが、そのほとんどが崩壊しています。
*島の周辺は(護岸擁壁)は、天草石を天川(赤土・石灰を混ぜた接着剤)で接合した石積み工法でつくられ、
今も島内の各地に残されており端島特有の景観を造りだしています
軍艦島へはガイドさんが説明をしてくれました。
閉山後43年経過した今も元住民が時々訪れるそうですが、廃墟となった島の写真を撮る人は少ないそうです
南北に480m、東西160m、周囲1200m、面積63000㎡という
小さな海底炭鉱の島で、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋アパートが立ち並ぶ外見が
軍艦(土佐)に似ている事から(軍艦島) と呼ばれるようになったそうです。
エネルギー革命により、エネルギーの需要が石炭から石油に移った事で、1974年には閉山、無人島になりました。
フェリーがら振り返り軍艦島を見たとき一抹の寂しさを感じました
でも今は、世界遺産になり、私達がこのように訪れる事が出来る事にとても感謝したいと思います。
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