私の両親は96歳と95歳で今も健在ではありますが、耳も遠くなり、なかなかコミュニケーションがとるのも難しくなってきましたが、今や貴重な戦争体験者として、語ってくれて来たその体験は今も私の心の奥底に流れているように感じます。
父は旧制中学を早く卒業して、大阪の専門学校に行くことになり、昭和20年の9月からは福井の軍隊に行く予定でした。母は女学校を卒後したのが、終戦の年でした。終戦間際の大地震や学徒動員のことや空襲のことなど実話を聞くたびに当時のことが私が生まれる前のことだとは言え、リアルに伝わって来ます。
ところで、最近の朝ドラの「虎に翼」を観ながら
も一緒に読んでみました。この本の半分は原爆投下に関する話で、分かりやすく解説してあり、今一度、原点に戻って、原爆投下を考えてみる機会になりました。
最近のマスコミからの情報が、素人の目にも真実を伝えられていないというか、何かに委縮した姿勢からの報道であることが感じられます。むかし、校内暴力から学校の規則が厳しくなり、生徒が委縮していった高校教育の当時を思い浮かべる感じですが、その当時の、管理教育が一番盛んであった時の生徒が今は50歳台で、その世代の心の底流に流れる圧迫感ともいうべき圧力の様を今のマスコミの姿勢に感じてしまうのは、私だけでしょうか。物言わぬ生徒と物言わぬマスコミに底通する何かを感じます。
知事の不適切発言だけに注目して報道するマスコミから、リニア新幹線の問題点を覆い隠そうとしか思えない中でも、今一度原子力について考えてみるのもいいかもしれない。
都知事選で、石丸現象に目がくらみ、彼の気になる一言を見過ごしてしまった人も多かったのではないか。「原発をどうしますか?」の問いかけに、「基本的に賛成です。日本の科学者に期待します」という彼の一言。理路整然と語るも、基本的な科学知識の欠落に愕然としたのは、私だけでしょうか。彼には、是非、
を読んでもらいたい。単に知らないだけの彼の言動に酔いしれるのは、少し早いかとも。今後の彼の成長に期待したい。
大学時代に、卓球部の後輩で、原子核工学科の卒業生が、原発企業に就職するというので、当時の我々の感覚でも、「大丈夫か?」という一言が、われわれの感情でした。彼曰く、「もんじゅの担当になるようです。私がやるので、どうでしょうか?」その時、われわれの印象は、「こいつは信用できないというか、信頼感がないからダメかな?」でした。その後を見れば、明らかですね。今、奴はどうしてるかな。
これまでも、予備校講師の著作を紹介したことがありますが、自分も予備校講師の経験もある中で、教育に携わる者として、教育的な視点での著述は、自らの考えの吐露ではなく、あくまでも学問的な裏付けから語るその考えは、偏った右寄りや左寄りの言質からは得られない、冷静で厳しいものを感じます。それを感じられるだけでも、読む価値はあると思います。
自らの将来に目をつぶって、格闘して、在野にあっても、その姿勢は変わらず、時を経て評価されるその記述に、読み手の自分を鑑みるひと時の大切さを感じます。