82『自然と人間の歴史・世界篇』ローマの文化(建築)
そういえば、古代ローマ時代には、実に様々な耐久性のある、強靱な構造をもつ建築物が出現している。道路や高架橋、トンネル、ダムなどのインフラをはじめ、ビル建設などという、現代社会での用法程で広くはないにしても、堅固な構築物の数々あることは、まさに、「偉大なるローマ」の象徴であったろう。
特に、政治や宗教に関係する「フォロ・ロマーノ」やパンテオン(神殿)を始めとして、大きなものではコロツセオと呼ばれる円形闘技場や、コンスタンティヌス凱旋門なども、「よくもまあ、これだけのものを、これほどにつくった」と驚嘆せざるを得ない程だ。それらが約2000年という時を経て、いまに残されるに至っていること自体、一見当たり前のことのようであって、実はそうばかりとはいえない。
というのは、これらを成し、また、これらが歴史の有為転変を生きながらえるには、不可欠なものがあった。これらの建築物の形式と強度を保証してきた、その代表格こそが、今日私たちがそう呼んでいる「ローマン・コンクリート」なのである。
このコンクリートだが、主には基礎工事に用いられていた。例えば、ナポリ近郊のソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡では、地中に1500年以上埋もれていたらしいコンクリートの塊が発見されている。これまでの研究により、火山灰(ポゾラン)に石灰や消石灰を混ぜたセメントを使っていることが確認されたという。また、内部には骨材として大きめの石を入れ、表層部は細かく粉砕したレンガなどを混ぜて緻密な防水層をつくるなど、その構造にも工夫がみられるとのこと。
コンクリートをつくるからには、どこからか原料の石灰や消石灰を運んで来なければならないものの、都ローマには凝灰岩が豊富にあることから、これを基本に用いて、あれこれの調合で試しているうちに、ついに製法が確立していったのだと推測される。
(続く)
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
84『自然と人間の歴史・世界篇』ローマの文化(水道)
古代ローマ時代に築かれた大建築の中で、より人びとの生活の身近かにあったのが、上下水道の施設である。その水を供給したのが水道橋である。これわつくる技術をローマがどこから入手したかの詳細は不明ながら、一説には、古代メソポタミアで生まれたアーチの技術が、エジプト、エトルリア(イタリア中部の古代国家)を経て、紀元前後にローマがにもたらされたという。
その名残は、ローマの歴史地区にもある。政治の中心地であったフォロ・ロマーノの近く、北東方面には現在テルミニ駅があり、20分ほどメトロA線に揺られると、そこには広大な遺跡の公園が広がる。この公園には、古代に建てられたクラウディオ水道橋とフェリーチェ水道橋が並走しているとのこと。郊外の水源地からはるばる水道橋で運ばれてきた水は、ローマ市内に入ってからは、人びとの様々な要求に応えることになる。面白い利用のされ方の一つが、公衆トイレであり、そこには人が座っているところの下を流れる下水道ばかりでなく、人が座る前の手の届くところを流れる上水道が通っていた。
そこでトイレの利用者の振舞だが、まずは下水道の覆いの部分に明けられた穴の上に座る、それぞれの尻の下に流れるのは下水道であって、人びとが用を足した後の汚物は緩やかな傾斜の密閉水路を流れて行く。そして人びとは、目の前に流れる上水道のきれいな水を掌でくみ取って尻を洗い、さらに手を洗ってトイレの利用をしめくくる。それまでの間は、隣の座る人と話もできる程に便利に出来ている。
水道橋に話を戻すと、当時ローマの属国であった所々に巨大な水道橋が設けられていた。そんな中で現代に一部が残っているものに、ポン・デュ・ガール(フランス)、ミラグロス水道橋(スペイン)、セゴビア水道橋(スペイン)などがある。これらのうちポン・デュ・ガールは、フランス南部・ガール県、南仏プロヴァンスの古都アヴィニョンから約25キロメートルの、現在のニームにある。ガール川にかかる全長275メートル、高さ49メートルの白亜紀の石灰岩でつくられた大橋で、3層のアーケードは上に行くほど幅が狭くなっている。紀元前19年頃、アウグストゥス帝の腹心アグリッパの命令により、ローマ人によってつくられ、6世紀頃まで実際に使用されていた。これを当時わずか5年で建築したというから、驚きだ。
ユゼスからニームへ水を運ぶための水路の途中にあり、古代ローマ時代・紀元前19年頃にアウグストゥス帝の腹心アグリッパの命令で架けられる。水源地と供給地の高低差はわずかに17メートル、かつては一日に推定2万立方メートルもの水を、ニームに住むローマ人に供給していたのだという。
セゴビアのは、スペイン北部、首都マドリードから8キロメートルに位置する。全長728メートル、最も高いところは高さ29メートル、こちらは18世紀まで現役であった。ゼゴビアの北15キロメートルのアセベダ川から水を引き込んで、僅かずつ傾斜で水を運んでいた。全部で128あるアーチ部分は、ガチガチに組まれた石同士で支え合って絶妙なバランスを保っているとのこと。
(続く)
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆