♦️1の1『自然と人間の歴史・世界篇』宇宙の誕生はどのようであったのか

2018-03-25 20:50:24 | Weblog

1の1『自然と人間の歴史・世界篇』宇宙の誕生はどのようであったのか

 宇宙は、一体どのようにして今日までたどりついたのか。そもそもの始まりは、今からおよそ138億年前(2013年に提出された新説)にまで遡るといわれる。そのことが発表された時の新聞記事には、例えば、こうある。

  「宇宙は138億歳、従来説より1億年高齢。欧州機関が解析。宇宙の年齢はこれまで考えられていたより約1億年長く、138億歳とする最新の研究結果を欧州宇宙機関(ESA)が22日までに発表した。宇宙誕生のビッグバンから間もない時期に放たれた「最古の光」を詳しく解析した。
  宇宙は従来説より1億年高齢の138億歳。ほぼ完璧な宇宙図で判明。最古の光は、現在の地球にあらゆる方向からマイクロ波として届き「宇宙背景放射」と呼ばれる。ESAは2009年に打ち上げた宇宙望遠鏡プランクで15カ月間にわたりマイクロ波を調べ、観測可能な最も初期の宇宙図を作製した。宇宙図にはマイクロ波を温度で表したときに見られるごくわずかなむらがあり、むらの分布から理論的に宇宙の年齢などを算出した。
  93年には米航空宇宙局(NASA)のWMAP探査機による宇宙背景放射の観測をもとに、宇宙は137億歳とされ定説となっている。(共同)」(2013年3月22日付け日本経済新聞)
  ここに引用の「宇宙図」の中に現れた色「むら」とは、温度の「でこぼこ」を表わしており、その度合いを温度の見えるカメラで調べると、摂氏0.00003度位の僅かな差が検出できて。この結果から私たちの宇宙の年齢が計算できるはずだという。その解析は、現在も続いているらしい。プランク衛星によるデータの解析結果のまとめとしては、次のようだという。
  「宇宙年齢:137.96億±(プラスマイナス)5800万歳、普通の物質の割合:4.81%、ダークマターの割合:25.7%、ダークエネルギーの割合:69.7%±1.9%、ハッブル定数:67.9±1.5(km/s)/Mpc:、宇宙の曲率:平坦、ニュートリノの種類:3種類」(「プランク衛星がみた最古の宇宙」:雑誌「ニュートン」2013年6月号)

 

 それでは、最初の最初の話は、なぜそうなったと考えられるのであろうか。現在の最も有力な説によれば、私たちの知る全ての始まりの「インフレーション」により、3次元の空間ができ、時間の刻みが発生した。そして「ビッグバン」へと繋がっていった、と考えられているという。アメリカの宇宙物理学者グースととともに、この理論の提唱者の一人とされる同学者の佐藤勝彦は、一般向けにこんな風に述べている。

 「インフレーション理論は、従来のビッグバン理論の多くの問題点を解決します。その一つが、「なぜ宇宙背景放射はどこも同じ強さになっているのか」、つまりかつての小さな宇宙がなぜどこも密度や温度が均一だったのかという例の問題です。その解決方法は、次のようなものです。

 生まれたばかりの宇宙が、全体的にはデコボコだらけだったとしても、ごく狭い領域だけを見れば、その中はほぼ一様になっているといえます。そしてこの狭い領域が現在の宇宙の大きさよりも大きくなるような急膨張を遂げれば、その中に住んでいる者にとって「見える範囲」の宇宙はきわめて一様になります。それがつまり、わたしたちが住んでいる宇宙の領域なので、宇宙背景放射は宇宙のどこでも同じ強さで観測されるのです。

 したがって、観測可能な宇宙の「果て」を越えた、ものすごい大きなスケールで宇宙を見ることができれば、宇宙はけっして一様になっていないことでしょう。

 また私はインフレーション理論を提唱した直後、インフレーションが起こると元の宇宙(親宇宙)から子どもの宇宙がたくさん生まれるという「宇宙の多重発生(マルチプロダクション)」という論文を、協同研究者と発表しました。これはある条件の下ではデコボコの「デコ(凸)」の部分が子宇宙へと発展することを示すものです。」(佐藤勝彦「眠れなくなる宇宙のはなし」宝島社、2016)

  かかるインフレーション理論によると、一説には、この宇宙の始まりから10のマイナス36乗秒まではゆっくり(時間と大きさの両方とも)と膨脹したと考えられている。すなわち、ゼロ時点は「虚数の時間」とでも呼ぶべきものであって、無からの宇宙さう増がなされよう。そして、その時間が虚数から実数に変化する。さらにその後の10のマイナス36乗秒になると、インフレーション的な急膨張が開始されよう。それからは、「強い力」という力が働く相転移(そうてんい)と呼ばれる力の枝別れがあったのだと言われる。この相転移のまさにその時、10のマイナス34乗秒という極微の時間の過ぎる間に100億のまた100億倍といった途方もない大きさに急膨張し、かかるインフレーション膨張が終わり、俗にいうところの「火の玉宇宙」になったというのだ。

 

 

 さて、そもそも現在に至る宇宙の創成がおよそ100億年位であることの概略は、ハッブル定数からの演繹計算で導かれるものの、宇宙年齢推測の決め手としてはやはり観測データとの某かの照合に頼るしか「確かな推測」にはならないのであろう。何事も事の成り行きを遡るにつれて、そもそもの始まりはどうであったのか、そこからどう変化してきたのか、その詳細さは曖昧模糊になってゆくものだ。現代の、ありとあらゆる科学的アプローチをもってしても、これは避けがたい。

 インフレーションに続くビッグバンの後には、宇宙は膨張が続き、それに伴って冷えていく。しかし、まだ極めて高温状態だったことから、素粒子の一つである「電子」は陽子などと結びついて原子核を形成することなく、大量にかつ自由に宇宙空間を飛び交っていたことだろう。そこでの光は、これらの電子と繰り返し衝突を余儀なくされるために、真っ直ぐに進むことができなかった。観測者がいたとしても、深い霧の中でのように不透明で拡大しつつある宇宙を遠くまで見通すことは不可能であったに違いない。
しかし、宇宙誕生からおよそ37万年が過ぎた頃、宇宙の温度が3000度(摂氏)位まで下がると、電子と陽子が結合して水素原子、さらにヘリウム原子となっていく。そのため、それまで自由に飛び交っていた電子はほとんどいなくなっていく。これを「宇宙の晴れ上がり」と呼ぶ。そうなると、それまで電子に遮られて真っ直ぐに進めなかった光が、宇宙空間を真っ直ぐに進めるようになっていく。さらに宇宙発生後にできてきた水素やヘリウムが集まって、銀河系が形成され始める。ここに水素のイメージは、太陽ー地球の系の大きさを10の21乗程度縮小したものが、水素原子を構成する陽子ー電子の系の大きさに対応するといわれる。その水素原子のイメージとして、水素原子内の電子はその陽子付近の半径1オングストローム(10のマイナス10乗メートル)程度の範囲内の空間のどこかに、もやもやした雲の如くに存在していると推定される。
 ビッグバンからどのくらいかの時間が過ぎていき、私たちが「銀河系」と呼んでいる巨大な渦状の天体が形成された。

(続く)

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♦️27『自然と人間の歴史・世界篇』人類の歩み(約250万年~約180万年前)

2018-03-25 10:13:48 | Weblog

27『自然と人間の歴史・世界篇』人類の歩み(約250万年~約180万年前)

 これまでの研究のうち、猿人からホモ属への移行過程のことは、最近までの発掘ではほとんど手掛かりがなかった。それが、2015年9月10日、南アフリカ・ヨハネスブルク郊外のライジング・スター洞窟で、新種のヒト属と考えられる骨が化石で発見された。米ナショナル ジオグラフィック協会付き研究者で南アフリカ・ウィットウォーターズランド大学の古人類学者リー・バーガー氏らが学術雑誌で発表した。
 当洞窟では、2013年からそれまでにも人類初期とおぼしき骨が多数発見されていた。発掘者によってホモ・ナレディと名付けられたこれらの骨は、部分ごとに、先行するアウストラロピテクス(約400万年前に現れた)の特徴と、その後のホモエレクトスの特徴をあわせもつ、という。頭が小さく、脳容量はわずか500立方センチメートルほどと、ホモ・サピエンスの3分の1くらいだ。とはいえ、手と足と歯は私たちと同じ「ヒト属のものであることは確か」だといわれている。
 そして、およそ250万年前からおよそ200万年前にかけては、同じヒト亜属にして猿人のホモ・ハビリス(「器用なヒト」の意味)が現れたという。彼らの骨は、1959年、人類学者のリーキー夫妻は、タンザニア北部のオルドハイ峡谷の崖から猿人アウストラロピテクス・ポイセイを発見した、まさにその同じ峡谷の近い場所で1964年に発見された。このあたりに長い期間をかけて降り積もっていた火山灰が、この人類化石の保存に訳だったものと考えられている。かれらの脳容量は600立方センチメートル位あったと推定される。そのホモ・ハビリスは、およそ100万年間存在した後、およそ150万年前にはほぼ絶滅したと考えられている。
 ところで、彼らホモ・ハビリスは、アルディピテクスのようなヒト亜属としての猿人には当たらない。最古のヒト亜属としてのヒト属の方に分類される。つまり、ホモ・ハビリスは「ホモ属の壁」と呼ばれる進化をしていく上での、「猿人」と「原人」との閾(しきい)を突き抜け、それまでの「猿人」から「原人」というカテゴリーの中に入っている。ホモ・ハビリスの身体の特徴は、それまでの猿人と違って体毛が退化し、かわりに髪の毛が進化している。その意味で、ホモ・ハビリスは「最古のヒト」だといえる。それから、180万年前頃から5万年前頃まではホモ・エレクトゥスが現れる、その名は、「直立(二足歩行)するヒト」に由来する。彼らも、「ほ乳類霊長目(サル目)ヒト科」の一つの属にして、原人なのであった。頭蓋骨の調査から、彼らの脳容量は950立方センチメートル位と見積もられる。
 さらに、およそ200万年前になると、これまた同じヒト亜属にして猿人のパラントロプスが現れる。これらの猿人は現在、1種も生き残っていない。

(続く)

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♦️26『自然と人間の歴史・世界篇』人類の歩み(約400万年~約250万年前)

2018-03-25 10:11:35 | Weblog

26『自然と人間の歴史・世界篇』人類の歩み(約400万年~約250万年前)

 それからどのような道があったのだろうか。その昔、アフリカで発生した人類の遠い祖先も森から「サバンナ」と呼ばれる草原に出た。それからどうしたかは、彼らは、私たちの直接の祖先のホモ・サピエンスではなかった。彼らの行動しているのを撮ったフィルムのようなものが残っている訳ではないから、今でも、その時代の地層から掘り出された骨や足跡、それから運よく残り、あるいは適切に発見された化石などから推し量るしかない。考古学のほかにも、当時の地理を研究する学問、そして物理学、生物学などが総動員される時代になってきている。
 こうした観点での最初の発掘は、戦前に遡る。1924年、解剖学者のレイモンド・ダートは、南アフリカのスタークフォンテインの洞窟で、前かがみ気味に直立二足歩行していた人類の祖先のものでと考えられる頭蓋骨を発見した。「南の(Australo-)猿(pithecus)」という意味の「アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)」と名付けられたこの骨は、1925年の学術雑誌『ネイチャー』に発表された。この洞窟のある場所は石灰岩地帯の只中であって、洞窟の上に空いた割れ目にこの猿人が落下し、その後の石灰岩破片の落下により埋まったものと考えられている。1959年、今度は人類学者のリーキー夫妻は、タンザニア北部のオルドハイ峡谷の崖から猿人アウストラロピテクス・ポイセイを発見した。この化石は、およそ200万年前のものとされた。
 1974年、今度はエチオピアのハダール地方で猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)の化石(通称「ルーシー」)が発見された。約390万~290万年前に生息した後期猿人と見られている。この個体の身長は110センチメートル、体重28キログラム、すでに二足歩行への適合を遂げていたと想像される。彼らの脳容量は、発見された頭蓋骨の調査から約400立方センチメートル位と推測される。この場所ハダールは、ダナキル砂漠、アワシュ川流域に近い。そこで、「地溝帯の分裂が進むに従って低地に広大なサバンナが広がり、それまで熱帯雨林に生息していた猿人がサバンナに進出して二足歩行をはじめたことが、ヒトへの長い進化のはじまりであったとする説が有力視されている」(写真・文は野町和嘉「ダナキル裁く、裂けゆく灼熱の地ーアフリカ大地溝帯北端の極限の地」:雑誌「ニュートン」2013年6月号)とのこと。
 さらに1984年から85年にかけて、人類学者達のトゥルカナ湖西岸の調査で、たちつづけに四つの発見があった。その一つ目は、最古級の頑丈な骨格をもった猿人の頭蓋骨化石が見つかり、「パラントロプス・エチオピクス」と名付けられた。二つ目では、完全なホモ・エレクトスの少年(推定年齢9歳)の全身骨格が見つかり、通称「トゥルカナ・ボーイ」と名付けられた。この発見に関して、2014年9月14日NHKテレビ放映の(「THE 世界遺産・大アフリカスペシャル」中に、こんなナレーションがあった。
 「セレンゲティの東にある渓谷、360万年前の地層から大発見がありました。世界で初めて見つかった二足歩行の足跡です。サバンナを出た人類は二本の足で歩いていたのです。さらなる大発見は、グレートリフトバレーの底、湖のほとりで人に直接つながる祖先が見つかったのです。160万年間前の少年(の骨)です。グレートリフトバレーの谷底に生まれた湖、トゥルカナ湖(ケニア)です。人類が生まれたのはどこなのか。アフリカに、この謎を解く鍵がありました。トゥルカナ湖のほとりでの発掘作業です。実は湖畔から次々に遠い昔の人類の化石が見つかっています。最大の発見は1984年、火山灰が降り積もった灰色の地層から驚くべき化石が現れたのです。160年前のしかも全身の骨格でした。トゥルカナボーイ、現代人でいうと、11歳の少年になります。私たちの祖先、原人です。身長は168センチ、ほっそりとした体型で、脳も現代人の3分の2もありました。二本の足で歩き、すでに火や道具も使っていたのです。グレートリフトバレーのサバンナは人類誕生の地、そう考えられています。」
 ほかにもあり、新種の「アウストラロ・ピテクス・アナメンシス」といって、それとおぼしき3本の歯が見つかった。なんとそれは、ヒトと猿人の両方の特徴を備えていた。そして第四の発見、新しい属となる「ケニアントロプス」(平らな顔をしたケニア人類の意味)の頭蓋骨化石2片が見つかった。それぞれ、約350万年前と約330万年前の化石だとされた。
 ここにいわれる「人類」=ホミニン(ヒト族)に含まれるのは、もちろん「ホモ・サピエンス」だけのことではない。ざっというと、ホミニンの下に、約700万年前と目されるサヘラントロプス属、オロリン属、アルディピテクス属、ケニアントロブス属、アウストラロピテクス属、パラントロプス属、ホモ属の7種類の「属」があり、ホモ属は最後に登場してくる。
 このホモ属というのは、「ほ乳類霊長目(サル目)ヒト科」に属し、体重に比べ脳が非常に大きいという共通の特徴を備えたヒト(ホモ)属としては、私たちホモ・サピエンス以外に、過去約500万年の間に、少なくとも5~7種類程度存在していたと考えられている。具体的には、ホモ・ハビリス(アウストラロピテクス属とする説あり)、ホモ・ルドルフェンシス(ケニアントロプス属とする説あり)、ホモ・エレクトス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・フロレシエンシス、そして現生人類としてのホモ・サピエンスが続いたのではないかと考えられている。

(続く)

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♦️25『自然と人間の歴史・世界篇』人類の歩み(約800万年~約400万年前)

2018-03-25 10:10:13 | Weblog

25『自然と人間の歴史・世界篇』人類の歩み(約800万年~約400万年前)

 私たちの直接の祖先(ホモ・サピエンス)の起源をたずねる旅は、一体どのくらい遡ることになるのだろうか。その中でも、人類の祖先のそもそもの始まりには、何があったのだろうか。
 この猿(ゴリラを含む)との分岐があったという仮説については、どう考えればよいのだろうか。これに関連して、類人猿の中でも私たちに最も近いチンパンジーと比較すれば,両者を隔てる遺伝子の謎が解けるのではないか。
 これらについての研究は、1984年に最初の試みの解析結果が出されたとのことだが、21世紀に入っては、より厳密な形で改めての研究が続いているとのこと。その一つ、理化学研究所の2002年の解析結果には、こうある。
 「また、今回得られた配列を基に、ヒトとチンパンジーのゲノム配列の平均一致度を算出すると、98.77%という値が得られました。この値は、基となる配列の総量が多いことと、全ゲノムにわたってランダムに配列決定が行われていることから、従来以上に正確な値と考えています。言い換えればゲノム中の1.23%、単純計算だと約3千7百万塩基について、ヒトとチンパンジーで違いがあるという結果が得られました。この結果を受けて次に問題になるのは、“この相違の内容は何か?”そして“この相違がゲノム全体に平均して分布するのか”それとも“ある領域に局部的に集中して起きているのか”という問題です。」(報道発表、独立行政法人理化学研究所、2002年1月4日「ヒトとチンパンジーを比較する世界初のゲノム地図が完成」)
 ところが、これとは異なる内容の別の研究結果も出ているとのこと。その一つであろうか、カリフォルニア大学のK.S.ポラード氏の論考を日経サイエンス2009年8月号が、こう要約している。
 「ゲノムプロジェクトによって完全解読されたヒトとチンパンジーの全塩基配列の解析結果は、「ヒトとチンパンジーの配列の違いは1500万塩基対。ヒトの全ゲノム3億塩基対のわずか0.5%にすぎなかった」(K.S.ポラード(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)「DNAに見えた「人間の証し」」の、日経サイエンス2009年8月号による要約から引用)
 これを踏まえての同誌の要約は、「著者らはこう述べる。ヒトとチンパンジーの違いを決定付けているのはDNA(デオキシリボ核酸)の変異の「数」ではなく「位置」だ。彼らは,ヒトとチンパンジーが共通祖先から分かれた約600万年前に遡り、他に比べて変異のスピードの速かったDNA領域を探った。」(同)と続ける。
 それからも、この種の研究は続けられており、例えばこういわれる。
 「兵庫県立人と自然の博物館や東京大などの研究チームは11日付の英科学誌ネイチャーに、エチオピアの地層から2007年に見つかったゴリラの祖先とされる類人猿の歯の化石が約800万年前のものと判明したと発表した。人類とゴリラは1000万年前にアフリカで共通の祖先から分岐したとの説を補強する成果で、人と自然の博物館の加藤茂弘主任研究員は「人類誕生の時期を明らかにすることにもつながる」と分析している。
 研究チームによると、化石が発見された地層は当初、約1000万年前のものと推定されていたが、その後の調査で断層によるずれを確認。他の化石や地質を詳しく分析した結果、約800万年前の地層と分かった。
 遺伝子解析の結果などを合わせて推定すると、人類の祖先とゴリラとの分岐が約1000万年前、初期の人類とチンパンジーとの分岐は約800万年前と考える説に合致するという。研究チームは東京大の諏訪元(げん)教授やエチオピアの研究者らでつくっており、07年にエチオピアの地層「チョローラ層」から、9本の大型類人猿の歯の化石を発見。ゴリラの祖先である可能性が高いと判断し、「チョローラピテクス・アビシニクス」と名付けていた。」(2016年2月11日付け大阪朝刊新聞)
 これと同一の研究成果については、やや異なる角度からの記事も寄せられている。こちらでは、「800万年前にゴリラ祖先 人類と1000万年前分岐説を裏付け」とのタイトルを与えており、それにはこうある。
 「アフリカ東部エチオピアで見つかったゴリラの祖先とみられる類人猿の化石が800万年前のものと分かったと、兵庫県立人と自然の博物館や東京大などのチームが英科学誌ネイチャーに発表した。人類とゴリラは約1千万年前のアフリカで共通の祖先から分かれて進化したとする説を裏付ける成果という。
 チームは2007年、首都アディスアベバ東方のアファール低地で、ゴリラの祖先に当たる新種の類人猿「チョローラピテクス・アビシニクス」の歯を見つけたと発表。当時は約1千万年前の化石と推定していた。
 その後、周辺でゾウやカバ、サルなどの哺乳類の化石計数百個を見つけた。出土した地層などと合わせて詳しく分析したところ、チョローラピテクスは800万年前の化石と判明した。人類とゴリラが分かれたのは、それより数百万年さかのぼる約1千万年前とみている。
 人類の起源を巡ってはDNA解析などから、800万~700万年前ごろに人類はゴリラと分かれ、その後、500万年前ごろにチンパンジーと分かれたとする説もある。チームの諏訪元・東京大教授は「化石からは、人類とゴリラはより古い年代に分かれたといえる。」(2016年2月12日付け日本経済新聞)
 およそ500万年前には、アルディビテクス(「南の猿」という意味)と呼ばれる最初のヒト亜属の猿人が現れたとする報告がある。それから、約500万年~約440万年前とおぼしき、別の化石がアフリカ東部エチオピアの地層から見つかっている。こちらはアルディピテクス(ラミダス猿人)と呼ばれている。初期の猿人と見られ、樹上生活を行う一方、そればかりでなくて、直立歩行も行っていたと考えられている。
 これらの如く、この分野の定説になりつつあるというほどの学説とはなっていないにしても、その頃はまだ猿人ということであり、サバンナの森であったろうアフリカの地において、幾つもの集団なりがかなりの程度隣あわせに生活していたのではないかということを、これまでの研究が示唆しているのではないか。

(続く)

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