♦️322『自然と人間の歴史・世界篇』マルクス・エンゲルスらの国際労働者協会の活動

2018-03-27 19:06:35 | Weblog

322『自然と人間の歴史・世界篇』マルクス・エンゲルスらの国際労働者協会の活動

 歴史というものは、やはり国際的なつながりから来るものの動向に期待が集まるのだろう。さて、マルクスが属していた国際労働者教会の掲げたスローガンは、「万国の労働者団結せよ」であった。しかして、この協会が行っていた活動の一端が窺える文書が残っている。その中から「アメリカ合衆国大統領、エブラハム・リンカーンへ」と題される書簡を選ぶと、これは1865年11月22日から29日の間に書記を務めていた彼らよって執筆され、その後の手続きを経て、大西洋を隔てたリンカーン宛てに送られたのだと伝わる。
 「拝啓
 私たちは、あなたが大多数で再選されたことについて、アメリカ人民にお祝いを述べます。奴隷所有者の権力に対する抵抗ということが、あなたの最初の選挙の控えめのスローガンであったとすると、奴隷制に死を、があなたの再選の勝利に輝く標語です。
 アメリカの巨大な闘争の当初から、ヨーロッパの労働者たちは、彼らの階級の運命が星条旗に託されていることを、本能的に感じていました。あの凄惨をきわめた大叙事詩のはじまりとなった諸准州をめぐる闘争は、広漠たる処女地を、移住民の労働と結ばせるか、それとも奴隷監督の足下にけがさせるか、を決定すべきものではなかったでしょうか?
 30万の奴隷所有者の寡頭支配が、世界の歴史上にはじめて、武装反乱の旗印に奴隷制ということばを書くことをあえてしたとき、(中略)、『奴隷制こそ有益な制度であり』、それどころか、『労働と資本の関係』という大問題の唯一の解決策であると主張し、そして人間を所有する権利を『新しい建物の礎石』と厚顔にも宣言したとき、そのときただちにヨーロッパの労働者階級は、南部連合派の卿紳にたいする上流階級の狂熱的な支持によって不吉な警告をうけるよりもなお早く、奴隷所有者の反乱が、労働に対する所有の全般的な神聖十字軍への早鐘をうつならすものであり、労働する人々にとっては、未来に対する彼らの希望のほかに、彼らが過去にかちえたものまでが、大西洋の彼岸でのこの巨大な闘争において危うくされているのだということを理解しました。
 だからこそ彼らはいたるところで、綿業恐慌が彼らにおわせた困苦を辛抱づよく耐えしのび、彼らの目上の人々がしっこく迫った奴隷制支持の干渉にたいして熱狂的に反対し、またヨーロッパの大部分の地域からこのよき事業のために彼らの応分の血税を払ったのであります。
 北部における真の政治的権力者である労働者たちは、奴隷制が彼ら自身の共和国をけがすのを許していたあいだは、また彼らが、自分の同意なしに主人に所有されたり売られたりしていた黒人にくらべて、みずから自分を売り、みずから自己の主人を選ぶことが白人労働者の最高の特権であると得意になっているあいだはー殻らは真の労働の自由を獲得できなかったし、あるいは、ヨーロッパの兄弟たちの解放闘争を援助することもできなかったのであります。しかし、進歩に対するこの障害は、内戦の血の海によって押し流されてしまいました。
 ヨーロッパの労働者は、アメリカの独立戦争が、中間階級〔ブルジョアジー〕の権力を伸長する新しい時代を開いたように、アメリカの奴隷制反対戦争が労働者階級の権力を伸長する新しい時代をひらくであろうと確信しています。かれらは労働者階級の誠実な息子、エーブラハム・リンカーンが、鎖につながれた種族を救出し、社会的世界をみちびいていく運命をになったことこそ、来るべき時代の予兆であると考えています。
 国際労働者協会中央評議会を代表して署名、略。
 ドイツ担当通信書記カール・マルクス、略。」(「マルクス・エンゲルス全集」第16巻、大月書店)
 この一文は、同11月12日に二人の評議会員ディックとハウエルの提案にもとづいて採択された。その後、同11月29日に中央評議会で採択され、ロンドン駐在のアメリカ公使アダムズを介してリンカン大統領に送られたという。1865年1月28日、リンカンの名前で返書が中央評議会へとどき、1月31日の評議会会議で読みあげられ、1865年2月6日の『タイムズ』に掲載されたという。1864年マルクスが1865年2月付のヴィルヘルム・リープクネヒトあての手紙にしち従えば、リンカーンの返書には心がこもっていたらしい。
 もとより、当時の国際労働者協会は小さな組織であったのだろうが、後段にて「アメリカの奴隷制反対戦争が労働者階級の権力を伸長する新しい時代をひらくであろう」との下りには、かれらがリンカーンに如何に期待していたかを物語る。

(続く)

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