♦️390『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカ資本の中南米への進出拡大(19世紀後半~20世紀初頭)

2018-12-01 21:40:57 | Weblog

390『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカ資本の中南米への進出拡大(19世紀後半~20世紀初頭)

 いつ頃から、アメリカにとって中南米のあたりが「庭」のように見なされるようになったのであろうか。それこそは、アメリカの資本がこの地域に経済的進出を拡大し、そこそこで富を生み、権益が増していったのと軌を一つにする。その一大画期となったのが、19世紀後半を前史として、20世紀の20年代からの出来事であったという。その経緯については、例えば、こう説明されている。

 「一方、砂糖生産においても、19世紀後期から米国人が投資を拡大していたが、砂糖ブームと戦後の不況、1920も年代のブームの再来と30年代諸島の世界大恐慌による不況という大きな景気変動のなかで、地元資本は淘汰され、米国資本による寡占的支配が拡大した。

 第一次世界大戦までは、中央アメリカ・カリブ海地域への域外からの投資は、イギリス、ドイツなどのヨーロッパ資本の比率がいぜんとして高かった。1897年の米国資本の対外直接投資の総額は、6億8500万ドルで、このうち、カリブ海地域への投資は4900万ドル、割合にして7%だったが、第一次世界大戦の始まる1914年には、米国資本の大害直接投資総額、35億ドルのうちで、カリブ海地域への投資は3億3600万ドルで総額の10%に増加し、イギリス資本をぬいて最大の投資国となった。また中央アメリカへの投資は1897年の2100万ドルから1914年には9300万ドルへ増加した。」(「南アメリカの歴史」山川出版社、277ページ)

 これにあるように、中南米においては、19世紀末から主にアメリカの食品資本がコーヒー、バナナ、砂糖などのプランテーションを拡大してきた。中南米諸国からすれば、そのことで「農業大国」になっていくという理解が生まれることにはならなかった。

 

(続く)

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♦️220『自然人間の歴史・世界篇』飛行機の原理・ベルヌーイの定理の発見(18世紀)

2018-12-01 09:49:09 | Weblog

220『自然人間の歴史・世界篇』飛行機の原理・ベルヌーイの定理の発見(18世紀)

 ダニエル・ベルヌーイ(1700~1782)とは、スイスの数学者にして物理学者でもある。1738年に発刊した主著「ハイドロダイナミカ(水力学)」の中で、流体、水や空気の流れが持つエネルギーが全体として保存されているという法則を見つけた。ただし、この式が成り立つのは、非粘性で、非圧縮性の理想流体です。なお、理想流体は非圧縮性であるため、密度は一定となる。また、管内に摩擦はなく、時間変化のない定常流を想定している。

 この定理は、飛行機の主翼が生み出す揚力(ようりょく)と言って、その翼の断面方向から見て上向きに働く力についての説明を施すのに用いられる。

 ここでは、プロペラ機を例にとろう。これが動力を用いて空を飛ぶには、一つには、プロペラの回転により空気が後方へ移動するであろう。その反作用として推進力を得る。

 二つには、プロペラの翼断面形状により、前面(上面)と後面(下面)の間に速度差が生じる。これにより圧力差となる。そしてこの圧力差によって、機体は推進力を得る。

 それというのも、飛行機の翼の断面は、上が丸い形をしているのが望ましい。その翼に前から風が当たると、翼の上面にそって空気が流れる。その空気の流れの速さたるや、下面に流れる空気の速さに比べて速くなるという。

 再録すると、連続した流体の中では、流れの速いところほど流れの中の圧力は小さく、遅いところほど圧力が大きいというのが、先のベルヌーイの定理であった。そのため、翼の上面では圧力が小さく、下面では大きくなる。この上下の圧力差で、翼は重力に逆らって圧力の小さい上の方へ引き寄せられる、つまり飛行機を空に浮かべる大きな揚力を得ている訳だ。

 すなわち、これら双方の作用で、飛行機は推進力を得て空を飛ぶというのが、プロペラ機だけではなく、今日のジェット・エンジンなどに至るまでの飛行原理ということで説明されている。

(続く)

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♦️343の3『自然人間の歴史・世界篇』飛行機の発明(1903)

2018-12-01 09:33:28 | Weblog

343の3『自然人間の歴史・世界篇』飛行機の発明(1903) 

 1903年12月17日は、飛行するのにおあつらえむきの風が吹いていた。ライト兄弟は、自作の飛行機「ライト・フライヤー1号にエンジンをかけて、プロペラが廻りだす。弟のオービルが飛行機に乗り込み、人力でひっぱってもらいつつエジソンをふかす。そして、ついに機体が宙に浮き、空を飛ぶことに成功した。とはいえ、このときの飛行時間はわずか12秒、飛行距離は36メートルに過ぎなかった。それから改良を重ねていくうちに、飛行距離が少しずつ伸び、三次元での機体の空中制御も試みられていく。

 とはいえ、世界初という点については、1901年8月の初飛行が世界初であるという指摘があり、グスターヴ・ホワイトヘッドによる飛行が世界初とする説もある。おりしも、1906年の万国国際法学会は、各国の自衛に供されぬかぎり航空は自由という原則を採り、その後の航空技術の熾烈な開発競争を招いたという。

 ともあれ、機先をとっての特許申請が認められたことで、ライト兄弟は人類史に名前を記す栄誉に浴した。

(続く)

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