♦️677『自然と人間の歴史・世界篇』アポロ計画の行方(1970~2003)

2018-12-12 09:03:10 | Weblog

677『自然と人間の歴史・世界篇』アポロ計画の行方(1970~2003)

 

 1970年4月には、アポロ13号の事故があった。この事故は、地上スタッフのミスが原因で発生した事故だという。機械船の設計段階で、一箇所配線ミスを行い、それがショートした。これによって火花が発生し、燃料タンクの酸素に引火して爆発したというのだ。この時は、地上との連絡がうまく働き、突然の危機を脱し、無事に帰還を果たす。

 これを契機に、大統領顧問団の一部は、ニクソン大統領にアポロ計画月の中止を求めるにいたる。予算を審議する夏の議会があり、7月末にNASA予算は僅差で議会を通過した。その翌日NASA長官が辞任しての8月末、後継の長官は、続いて予定されていた18号・19号のミッションを中止したという。

  続いての1986年1月28日、チャレンジャー号の打ち上げで大きな事故が起こった。その原因は、明らかだという。右側の固体燃料補助ロケット(SRB: Solid Rocket Booster)の継ぎ目から固体燃料を燃焼した高温ガスが噴き出した。これにより、その燃焼ガスで固体燃料補助ロケットを外部タンクに留めていた金具が破損した。そして、固体燃料補助ロケットが外部タンクに衝突し、そのタンクが爆発したのだという。これにより、上昇中だったチャレンジャー号は空中分解し、搭乗員7名全員が死亡した。

 そして迎えた2003年2月1日、28回目の打ち上げの日のことであった。スペースシャトルコロンビア号は、テキサス州とルイジアナ州の上空で大気圏に再突入している間に崩壊し、7名の乗組員全員が死亡する。

 原因としては、打ち上げ時の衝撃で外部タンク表面からブリーフケース大の発砲断熱材の破片が剥離したことで起こる。その破片が左の主翼にぶつかり、シャトルの熱防護システムを壊した。したがって、再突入の際には、大きな危険を伴うことが分っていたという。

 

(続く)

 

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