♦️340の2『自然と人間の歴史・世界篇』光行差の検出(1728)、年周視差の検出(1838~1839)と天動説の崩壊

2018-12-13 21:14:22 | Weblog

340の2『自然と人間の歴史・世界篇』光行差の検出(1728)、年周視差の検出(1838~1839)と天動説の崩壊

 

 さて、地球の公転運動によって天体(星)からの光の到来方向が、地球公転運動速度ベクトル(ある向きと大きさを持ったもの)の方向へずれて観測される。

この天体からの光の地球公転運動速度ベクトルの方向へのずれが、年周光行差(Annual Aberration、角度)である。

 天文学者のジェームズ・ブラッドレー(1693~1762)は、恒星の年周視差を検出しようと観測を続けていた。この年周視差というのは、こうだ。地球は太陽の周りを1年をかけて公転しているが、その回転の半径、つまり地球と太陽の間の平均距離を1天文単位(1au)と呼ぶ。ついては、この地球の公転軸というものを考え、この軸上の恒星を太陽から見たときと太陽から1天文単位離れた地球から見たときに見える角度の差、つまり1年の視差を求めたい。

 それというのも、コペルニクスによる地動説によると、天球上に固定されているはずの恒星の位置に、地球の公転による位置の変化が、みつかる筈であった。つまり、恒星に視差が見つかれば、その証拠となるだろう。

 ところが、その作業の過程での彼は、本来の目的にはなかった年周光行差と地球の章動という、二つの大発見にいたる。こちらの光行差というのは、観測者が移動中の場合、その観測者から見ると、光のやってくる角度が彼の移動方向にずれて見える、その角度のことをいう。

  これを例えると、風のないときの雨は真上から降っているが、観測者が前に進んでいると雨は前方斜めからある角度をもって降り付けてくるので、傘は幾分前倒しにして進まなければならぬ、この雨と観測者の運動になぞらえればよい。なお、章動とは、星が時々刻々と位置を変えることで起こる、より短い周期の変動成分をいう。地球の自転軸は、歳差によって向きを変えつつも、章動によってそのまわりを振動している。

 ブラッドレーは、この結果を、1728年のイギリス王立協会の機関誌「哲学会報」に発表した。その中で、彼がりゅう座ガンマ星からの光と、地球の公転速度との間に、前記の光行差の組み合わせができていた。したがって、地球の公転運動によって生じることから、恒星視差の発見を待たずに、まさに予想外のところから、コペルニクスの地動説が基本的に正しいことがわかった。

 そして迎えた1757年、カトリック教会のベネディクト14世は、地動説を説く書物に関する一般的禁止令を取り消したのであつた。

  これに対して年周視差は、1838年に天文学者フリードリヒ・ウィルヘルム・ペッセルによって発見された。彼が狙いを定めたのは、地球から11.1光年離れたところにある、はくちょう座61番星であった。彼の成功に続き、翌年の1839年には、トーマス・ヘンダーソンが、ケンタウルス座アルファ星について、年周視差の測定を行った。これらにより、それまで地動説に対する反証として、恒星の年周視差が検出できないことが挙げられていたのが、完全に覆ったのは言うまでもない。

 このようにして年周視差がわかると、それを利用して恒星までの距離を割り出すことができる。具体的には、ある恒星の年周視差が例えば1の時、その恒星から太陽までの距離を1パーセクとし、この時、1というのは極めて小さい値ゆえ、その恒星までの距離は1パーセクであるという。

 ところで、1天文単位は1億4900万キロメートルだから1パーセクは約3.26光年であり、いま測ろうとする恒星までの距離は、年周視差に反比例するので、3.26光年を年周視差で割り算したものが求める距離となろう。

(続く)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


♦️339『自然と人間の歴史・世界篇』ドップラー効果(1842)とキルヒホフの法則(1859)の発見

2018-12-13 10:37:07 | Weblog

339『自然と人間の歴史・世界篇』ドップラー効果(1842)とキルヒホフの法則(1859)の発見

 1842年、プラハ大学のドップラー(1803~1853)は、発光体の光源が運動していて、それが静止の場合とどう異なるかの現象を研究していた。

 すると、光源が近づいてくる場合には、光の波長が短い方へずれ、その逆に光源が遠ざかる場合には、波長が長い方へとずれるのを発見した。

 これは音の場合にも当てはまることであり、音源が近づいてくる時には波長が短くなるので音は高くなり、逆にその音が対象を抜け、遠ざかって行く時には波長が長くなって、その分低音になるのだ。これを「ドップラー効果」と呼ぶ。

 この場合、波長のずれの大きさは、視線方向における相対運動の速度で決まってしまう。

 そして、もう一つの発見が登場する。1859年、物理学者のグスタフ・ロバート・キルヒホフ(1824~1887)は、太陽のスペクトルの中に黒い・フラウンホーファーのD線と呼ばれるものと、食塩から出てくるスペクトル・黄色線とが同じものだということを発見した。そうなると、太陽のなかに食塩が存在しているのではないか、ということにもなっていく。

 彼は、これを説明するために黒体概念を導入し、熱力学的な考察を進める。こうした太陽スペクトルの分光学的研究は、キルヒホフの業績以後も続けられていく。そのスペクトルに現れる暗線の分析から、太陽に存在する多くの元素が発見されていく。

 参考までに、1859年にキルヒホフにより、以下の3つの法則が定式化された。

 「1.高温に熱せられた物体は、連続(スペクトル)の光を放射する。

2.高温・低圧の状態にあるガスが放射する光は、周囲より明るいいわゆる輝線スペクトルの光となる。同じ状態にある同一の物質は、同じパターンの線スペクトルの組を常に示す。

3.ガス状になった物質は、その内部を通過する連続スぺクトルの光の中から、ガス自身が放射する輝線と同じ波長の光を吸収する。ガスを通過した白色光は、ガスの輝線スペクトルが反転した、吸収スペクトルを常に示す。」(桜井邦明「天文学史」朝倉書店、1990)

 1868年8月の日食時には、太陽大気中に存在する「プロミネンス」といって太陽辺縁部にみられる、炎がリング状に盛り上がる現象が、初めて観測された。背景には、この間の写真技術の発達があったと。そして、それらのプロミネンスの主成分が水素であることも明らかにされた。

また、この時、黄色の波長領域において、別の輝線が見つかる、こちらは太陽を示す特別の正体不明の元素があるということになり、太陽を表わすギリシア名からとって「ヘリウム」と名付けられる。このヘリウムなる元素は、後に地上にもあること発見される。

 

(続く)

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆