340の2『自然と人間の歴史・世界篇』光行差の検出(1728)、年周視差の検出(1838~1839)と天動説の崩壊
さて、地球の公転運動によって天体(星)からの光の到来方向が、地球公転運動速度ベクトル(ある向きと大きさを持ったもの)の方向へずれて観測される。
この天体からの光の地球公転運動速度ベクトルの方向へのずれが、年周光行差(Annual Aberration、角度)である。
天文学者のジェームズ・ブラッドレー(1693~1762)は、恒星の年周視差を検出しようと観測を続けていた。この年周視差というのは、こうだ。地球は太陽の周りを1年をかけて公転しているが、その回転の半径、つまり地球と太陽の間の平均距離を1天文単位(1au)と呼ぶ。ついては、この地球の公転軸というものを考え、この軸上の恒星を太陽から見たときと太陽から1天文単位離れた地球から見たときに見える角度の差、つまり1年の視差を求めたい。
それというのも、コペルニクスによる地動説によると、天球上に固定されているはずの恒星の位置に、地球の公転による位置の変化が、みつかる筈であった。つまり、恒星に視差が見つかれば、その証拠となるだろう。
ところが、その作業の過程での彼は、本来の目的にはなかった年周光行差と地球の章動という、二つの大発見にいたる。こちらの光行差というのは、観測者が移動中の場合、その観測者から見ると、光のやってくる角度が彼の移動方向にずれて見える、その角度のことをいう。
これを例えると、風のないときの雨は真上から降っているが、観測者が前に進んでいると雨は前方斜めからある角度をもって降り付けてくるので、傘は幾分前倒しにして進まなければならぬ、この雨と観測者の運動になぞらえればよい。なお、章動とは、星が時々刻々と位置を変えることで起こる、より短い周期の変動成分をいう。地球の自転軸は、歳差によって向きを変えつつも、章動によってそのまわりを振動している。
ブラッドレーは、この結果を、1728年のイギリス王立協会の機関誌「哲学会報」に発表した。その中で、彼がりゅう座ガンマ星からの光と、地球の公転速度との間に、前記の光行差の組み合わせができていた。したがって、地球の公転運動によって生じることから、恒星視差の発見を待たずに、まさに予想外のところから、コペルニクスの地動説が基本的に正しいことがわかった。
そして迎えた1757年、カトリック教会のベネディクト14世は、地動説を説く書物に関する一般的禁止令を取り消したのであつた。
これに対して年周視差は、1838年に天文学者フリードリヒ・ウィルヘルム・ペッセルによって発見された。彼が狙いを定めたのは、地球から11.1光年離れたところにある、はくちょう座61番星であった。彼の成功に続き、翌年の1839年には、トーマス・ヘンダーソンが、ケンタウルス座アルファ星について、年周視差の測定を行った。これらにより、それまで地動説に対する反証として、恒星の年周視差が検出できないことが挙げられていたのが、完全に覆ったのは言うまでもない。
このようにして年周視差がわかると、それを利用して恒星までの距離を割り出すことができる。具体的には、ある恒星の年周視差が例えば1の時、その恒星から太陽までの距離を1パーセクとし、この時、1というのは極めて小さい値ゆえ、その恒星までの距離は1パーセクであるという。
ところで、1天文単位は1億4900万キロメートルだから1パーセクは約3.26光年であり、いま測ろうとする恒星までの距離は、年周視差に反比例するので、3.26光年を年周視差で割り算したものが求める距離となろう。
(続く)
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