676の1『自然と人間の歴史・世界篇』アポロ計画(月着陸までの経緯、研究開発)
アポロ計画というのは、ケネディ大統領の時代のアメリカで始まった。それは、1961年5月25日のことで、ケネディは、ソ連のユーリ・ガガーリンの宇宙初飛行の1ヶ月後に、ソ連に対する技術的優位を示すためにもという気概で、演説を行う。その一説には、こうあった。
“We choose to go to the moon. We choose to go to the moon in this decade and do the other things, not because they are easy, but because they are hard, because that goal will serve to organize and measure the best of our energies and skills, because that challenge is one that we are willing to accept, one we are unwilling to postpone, and one which we intend to win, and the others, too.”
アメリカが国を挙げて目指したのは、ソ連に先んじて、ドイツ人ロケット開発者フォン・ブラウンの夢である「人間が月に行くこと」であったという。この構想については、フランスのSF作家 ジュール・ベルヌの小説「月世界旅行」に由来してのことだと聞く。
この演説で、ケネディは、「1960年代中に人類の月面上陸及び安全な帰還する」ことを議会と国民に宣言するのであった。以後、膨大な予算と人員を投じての一大国家プロジェクトが取り組まれていく。
この計画においては、ピラミッドの形をした構想の頂点に月への着陸と月面探査があり、それをなし遂げるために諸計画が立てられていた。
それらの名は、マーキュリー計画、ジェミニ計画が主なものであって、アポロ計画と同時並行で進めていく。その際、マーキュリー計画というのは一人乗り宇宙船で地球を回る技術をいい、その次にジェミニ計画というのが乗っかっていくのにあった。
特にジェミニというのは、双子座で二人乗り宇宙船を意味した。2人が同時に最大2週間宇宙飛行することが目指された。具体的には、宇宙空間でランデブーやドッキングする技術を開発していく。それらの基礎固めが成った後に、ようやく月に向けてアポロ計画としての3人乗り宇宙船の開発が完成に向かっていくというもの。
(続く)
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