233『岡山(備前、備中、美作)の今昔』岡山人(20世紀、高木東六)
作曲家の高木東六(たかぎとうろく、1904~2006)の出身については、本人の弁があり、こういう。
「米子市長に言わせると、「あなたは五歳まで米子市にいたのだから、からだにはもはや米子の空気がよく染み渡っているはずだ。従って高木東六は立派に「米子出身!」ということになるらしい。
しかし、ぼくは五、六歳の幼児期、岡山の父の実家へも預けられたことがあるので、どちらも半分くらいずつのなつかしい思い出を持っている。」(高木東六「わが愛する岡山」、研秀出版の「ワイドカラー旅」のうち「山陽、山陰」、1975)
父は、神父を務めていたという。なので、幼いころから聖歌を歌ったりで、知らずと音楽に親しんでいたようだ。やがて、東京音楽学校(現・東京芸大)に学ぶ。ところが、ドイツ音楽にはなじまず、フランス音楽に惹かれて中退する。フランスに渡り、パリで音楽を学ぶ。
帰国してからは、依頼されて作ったのか、内務省や軍部なりに命じられてであろうか、「空の神兵」を作曲する。もっともかれは、日本ハリストス正教会に所属するロシア正教徒であり、聖名はギリシャ語による語源で「不死の者」の意味のアファナシイというとのことであり、その事との関係で良心に反することのようにも感じられるのだが。
戦後になると、さぞかし自由を感じたのだろうか、歌謡曲「水色のワルツ」は、同時代の作品とは一線を画した明るいメロディーで、二葉あき子の歌によって多くの人の心を和ませた。
その主なる作曲のジャンルとしては、交響曲、オペラ、シャンソンなど幅広かった。とはいえ、5つの音階しかない日本の演歌や民謡には批判的だったようだ。その気さくで明るげな立ち居振舞いから、テレビ番組「あなたのメロディー」(NHK)や「家族そろって歌合戦」(TBS系)の審査員としてもお茶の間に親しまれる
そんな高木の岡山話から、したしげなところを、しばらく紹介しよう。
(続く)
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