238『岡山(備前、備中、美作)の今昔』岡山人(20世紀、赤松麟作)
赤松麟作(あかまつりんさく、1878~1953)は洋画家。岡山の生まれ。1899年(明治32年)には、東京美術学校を卒業する。在学中は、洋画家の黒田清輝に師事する。そして迎えた1901年(明治34年)には、「夜汽車」により白馬賞を受賞、画壇に早速と登場する。
その黒田から学んだのは、外光派風の明るい色調にあるという。人物画や風景画によって、堅実で慈味深い作風をものにしていく。
1904年(明治37年)から1917年(大正6年)にかけては、大阪朝日新聞社に挿し絵記者として働く。1908年(明治41年)には、大阪梅田において赤松洋画塾を開設する。また、関西女子美術学校においては、洋画部の代表となる。
そんな赤松の「土佐堀川」は、麟作の前期の代表作であり、同時に大正中期の洋画の雰囲気を持つ。全体的に淡い色使いにて、当時の大阪土佐堀川の情景をよく伝える作品としても貴重だとされる。ちなみに、土佐堀川(とさぼりがわ)は、大阪市内を流れる旧淀川の分流の一つである。 旧淀川は、上流の大川(おおかわ) から中之島をはさんで北の堂島川と南の土佐堀川に分かれる。
また、「裸婦」という作品には、豊満な中にも、物憂げな女性が視線を前方斜め下に投げかけている。
(続く)
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