239『岡山(備前、備中、美作)の今昔』岡山人(20世紀、松岡寿)
松岡寿(まつおかひさし、1862~1944)は、岡山藩領の内山屋敷で生まれる。父は、日本での洋学の先覚者の一人。1872年(明治5年)には、父とともに上京して、思想家の西周の家に下宿する。1873年(明治6年)には、川上冬崖の聴香読画館に学ぶ。父と西夫妻の勧めがあったという。
1876年(明治9年)に開校の工部美術学校に入る。 1878年(明治11年)には、十一字会を組織する。1880年(明治13年)には、イタリアに留学をはたす。向こうでは、ローマ美術学校に学ぶ。
1888年(明治21年)には、帰国する。初期にはバルビゾン派風の自然主義的な画法を学んでいたのが、留学後はイタリア官学風の堅実な手法に移る。 1889年(明治22年)になると、浅井忠らと明治美術会を結成する。続いての1892年明治美術学校を設立する。
さらに東京帝国大学工学部講師、東京美術学校教授、東京高等工芸学校教授、同校長、文展審査員を歴任する。主な作品としては、「ローマ、コンスタンティヌス凱旋門」 (1882、東京芸術大学)、「ピエトロ、ミカの服装の男」 (岡山県立美術館)など。
(続く)
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