244『岡山(備前、備中、美作)の今昔』岡山人(20世紀、時実新子)
時実新子(ときざねしんこ、1929~2007)は、岡山県上道郡九幡村(現在の岡山市東区西大寺)に生まれる。やがて、県立の西大寺高等女学校を卒業する。17歳で兵庫県姫路市の商家に嫁ぐ。
ふとしたきっかけであったのだろうか、子育て中の25歳から川柳を作り始める。自己表現に目覚めたらしい。1963年(昭和38年)には、句集「新子」をつくり、これがデビューとなる。
1974年(昭和49年)には、季刊川柳誌「川柳展望」を主宰する。「凶暴な愛が欲しいの煙突よ」や「五月闇生みたい人の子を生まず」などを盛り込む。やむにやまれぬ「私」の熱情がほとばしり出たのであろうか。
1987年(昭和62年)には、夫ある女の激しい恋情を詠った句集「有夫恋(ゆうふれん)」がベストセラーとなる。大した度胸なのだろう。作家の田辺聖子さんは、これを「珠玉にして匕首(あいくち)の句集」と感想を述べたという。まるで、川柳界の与謝野晶子であるかのように、「奔放」な彼女に期待を込めたのだろうか。
1996年には、今度は「月刊川柳大学」を創刊する。若手作家を育成することにも、川柳の普及に力を注ぐ。わけても、短歌や俳句に比べ、やや遅れて表舞台に出た感のある川柳への風当たりは強かったのではないだろうか。
その間には、産経新聞夕刊の「夕焼けエッセー」の選考委員も務める(2017年9月11日付け産経新聞)。
(続く)
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