255『岡山(備前、備中、美作)の今昔』岡山人(20世紀、大山康晴)
大山康晴(おおやまやすはる、1923~1992)は、岡山県倉敷市の生まれ。5歳の頃には、将棋をさし始める。やがて、大坂へ出て、木見金治郎九段門下。
1940年(昭和15年)には、プロ四段に昇格する。1952年(昭和27年)には、第11期名人戦で木村義雄十四世名人を破り、初の名人となる。以来、5連覇して十五世名人の永世称号資格を得る。
1957年(昭和32年)には、兄弟子の升田幸三にその座を奪われたが、2年後に奪還するという具合、ここから13連覇を果たす。この間、1962年(昭和37年)には、初の五冠王(名人・十段・王将・王位・棋聖)にもなり、以来、長く将棋界に君臨する。大山にしてみれば、面目躍如といったところか。
その生涯現役にも驚かされるが、いろんな格言を残したことでも知られる。「助からないと思っても助かっている」など、「攻め」よりは「受け」にまつわることでの名言が多い。それ以外にも、例えば、「不運が続くと思ったら、虚心になって変化を目指せ。不運を幸運に変える要諦は、これしかない」という。これなどは、「苦しい時ほど、視野を広くもって、その事象に当たれ」ということだろうか。
(続く)
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