211の30『岡山の今昔』岡山人(19世紀、原田直次郎)
原田直次郎(はらだなおじろう、1863~1899)は、洋画家。備中鴨方藩藩士の原田一道の次男として、江戸に生れる。幼い頃から、漢文やフランス語を学ぶ。勉学には、うってつけの環境に身を置けたのではないか。
やがて、東京外国語学校を卒業する。そのまま語学を生かすのかと思いきや、この頃既に絵描きになろうという志を抱いていたのだろうか、油絵を山岡成章や高橋由一に学ぶ。
1883年(明治16年)には、ドイツに留学して、ミュンヘンの美術学校に入学する。地質学者の兄、豊吉の勧めがあったらしい。歴史画の大家であるガブリエル、マックスに師事して、ドイツロマン派の画風の習得に精魂を傾ける。折からの写実主義にも、活路を求めていったようだ。1887年(明治20年)に帰国してからは、本郷に画塾鍾美館(しょうびかん)を設けて後進を指導しする。
1889年(明治22年)には、明治美術会の創立に参加する。代表的な作品に、ドイツ時代に描いた「風景」や「靴屋の親父」のほか、1890年(明治23年)に発表した「騎竜観音」などがある。
これらのうち「風景」は、岡山県立美術館にあるという。画の雰囲気は、静かにして、心地良い涼しさがある。手前の家から奥の森へと道が続くうちに、その道を木漏れ日が追いかけていくようであり、この道を歩いてみたい。
「靴屋の親父」には、思わずみ見ってしまう、なにしろ、描かれている中年男は、振り向くように顔を正面に向けている。左方から光が当たり、顔の半ばがやや暗い。陰影がきつい分、禿げあがった頭、彫りの深いひげ顔、胸をはだけた姿とあっては、いちど見たら目に焼きつくかのようだ。
たいするに、「騎竜観音」は、その名前のとおり、なまめかしく、それでいて、ちかより難いほどの妖しい顔だ。伝説上の龍の上に乗っている。
作家は、早くに病気になって、画業を大成させるには至らなかった。かの文豪の森鴎外とはドイツ時代からの終生の友であって、鴎外の小説「うたかたの記」に出てくる日本人画家とは原田がモデルであったと伝わる。
(続く)
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