◻️42の2『岡山の今昔』江戸期の産業の発展(17~18世紀、備中)

2019-08-05 20:40:20 | Weblog

42の2『岡山の今昔』江戸期の産業の発展(17~18世紀、備中)

 備前と隣あわせの備中の南部においても、この時期、農業の多角化と、それに触発されての商業の発達があったことが知られる。柴田一氏の論考には、こう記されている。
 「備中南部でも、水谷勝隆・勝宗のころ開発された新田地帯を中心に木綿・藺草の栽培が盛んになった。とくに浅口郡玉島湊は、背後の新田地帯の木綿(繰綿・綿実)を大漁に扱う著名な集散地であり、また、都宇郡連島村は多くの藺草問屋・廻船問屋があって、集荷し藺草を大坂に運んだ。自給的な農業から商業的な農業に脱皮すると、百姓たちは肥料問屋・仲買から、干鰯(ほしか)・油粕(あぶらかす)を買い入れ、また、鋤、鍬、鎌のほか、役牛・すきを購入し、唐箕の・唐臼・千歯扱ぎ(せんばこぎ)などをもとめ、農業収益を高めていった。」(柴田一氏の論考には「岡山の歴史」(岡山文庫、1974)。

(続く)

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