◻️192の3『岡山の今昔』岡山人(19世紀、太田辰五郎と土屋源一)

2019-08-18 19:34:25 | Weblog

192の3『岡山の今昔』岡山人(19世紀、太田辰五郎と土屋源市)

 太田辰五郎(おおたたつごろう、1790~1854)は、阿賀郡千屋村(現在の新見市千屋実)の鉱山業を経営する家庭に生まれる。「たたら山」を10以上もつなど、よほどの裕福であり、大名への貸金や貧民救済事業を行っていた。
 1831年(天保2年)には、父、正蔵の家業を継ぐ。辰五郎は、父に引き続いて、儲けの一部を地域に還元することを行う。1833年(天保4年)とその翌年には、凶作であった。そのおりには、辰五郎は、銀10貫と小割鉄200束を、領主に上納する。
 その一方では、莫大な資産を背景に牛の改良を行おうとする。元来小型種であった千屋牛を、大型で丈夫なものに改良していく。
 その種の牛は「大赤蔓(おおあかつる)」といい、役肉用牛として人気を博す。 
 そして迎えた1834年(天保5年)、辰五郎は、自宅脇の敷地に千屋牛馬市を開設する。完成した千屋牛の販売促進のためであったのだが、これが当たる。
 以後、毎年この市に集まる人々の評判によって、千屋牛の名は全国的に知られるようになっていく。また、牛市自体も農繁期の後に開催されたので、芝居や露店が集まり、次第に大変な賑わいとなっていく。

(続く)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


◻️152『岡山の今昔』岡山のうまいもの(麺類)

2019-08-18 10:09:04 | Weblog
152『岡山の今昔』岡山のうまいもの(麺類)

 ここで麺類について紹介すると、「ご当地グルメ」、「かねてからの地元の味」など、幾つかのカテゴリーに分かれるのではあるまいか。それぞれの見方、味わい方があるのは、想像に難くない。
 「ご当地グルメ」のなかでは、「津山ホルモンうどん」から始めよう。このあたりの肉の生産と流通は奈良時代からのものであり、明治の文明開化、その走りとしての、おおっぴらな肉食に先んじてきた。
 一方、「蒜山焼きそば」は、野菜や果物が入ったタレや味噌ダレで味付けされ、鶏肉(親鶏の肉、かしわ)が多めに入ったもので、油が乗ったような濃厚な味が信条なのだという。
 笠岡ラーメンは、笠岡市で発祥した岡山県を代表するご当地ラーメンの一つである。鶏ガラを使った醤油スープと、具材としてカシワ肉(老鶏の肉)の煮鶏を載せる。
 また、岡山市では、古くから作られているラーメンかあるとのこと。鶏ガラを使用するものと、豚骨を加えたもの。その始めは、敗戦直後の岡山市中心市街地では、屋台やバラック小屋が群立していた。そこでのラーメン提供を受けた人々が、そのラーメンの味を引き継ぐ。
 これとはやや異なるが、トンカツラーメンというのがある。この名前は、ラーメンの上に豚カツを載せたものからついた。今も、岡山市の中心部にある多くの老舗ラーメン店や食堂で提供されているとのこと。
 新見ラーメンは、山間地のラーメンで知られる。このあたりには猪が多く生息し、昔からぼたん鍋などの猪料理が食べられてきたという。その影響で、地元の一部ラーメン店では、以前より猪肉を使ったラーメンが提供され、常連客に好評であった。その多くは、出汁に猪を使った醤油ラーメンで、具材に猪チャーシューが乗る。
 また、美星地区では、角煮そばというのがあるという。当地は、岡山における豚肉の産地であることからして、地産地消の取り組みの一つとされているらしい。
 さらに、南に行っての井原市には、「ゴボウラーメン」というのがあるとのこと。ゴボウは、なにしろ健康によい。だしも、かなり出るのではないだろうか。

(続く)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆