232の4『岡山の今昔』岡山人(2世紀、大野昭和斎)
大野昭和斎(おおのしようわさい、1912~1996)は、総社市の生まれ。
大野昭和斎(おおのしようわさい、1912~1996)は、総社市の生まれ。
父は、片岡斎三郎といって指物師である。本名は、片岡誠喜男(かたおか・せきお)。
1920年(大正9年)には、一家で倉敷市西阿知町に移住する。やがての14歳には、西阿知尋常高等小学校を卒業。
それと同時に、幼い頃から父の仕事を見て育ったのであろうか。その父に師事し、指物や象嵌を学んでいく。
1920年(大正9年)には、一家で倉敷市西阿知町に移住する。やがての14歳には、西阿知尋常高等小学校を卒業。
それと同時に、幼い頃から父の仕事を見て育ったのであろうか。その父に師事し、指物や象嵌を学んでいく。
そのうち、文人画家の柚木玉邨に師事し、絵画を習う。素材は木材であるから、どんな木を選ぶかが大事だろう。
解説によると、桑を好んだという。他に欅(けやき)、柿、黄楊木、肥松もよく使用したという。目標の形に削るのが大変であろうに、特に、指物・象嵌の技術に優れていた。
作品は、箱や文机、卓、飾り棚、小箪笥、盛器、香盆、菓子鉢など、多種を手掛ける。画像を拝見すると、繊細なつくりで、艶々してみずみずしい。
たとえば、杢目沈金といって、杢目(もくめ、独特の紋様)に金箔を刷り込む技法を用いており、これだと、申し分のないほど、 木調の美しさが際立つ。
1984年(昭和59年)には、重要無形文化財「木工芸」保持者に認定される。
(続く)
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解説によると、桑を好んだという。他に欅(けやき)、柿、黄楊木、肥松もよく使用したという。目標の形に削るのが大変であろうに、特に、指物・象嵌の技術に優れていた。
作品は、箱や文机、卓、飾り棚、小箪笥、盛器、香盆、菓子鉢など、多種を手掛ける。画像を拝見すると、繊細なつくりで、艶々してみずみずしい。
たとえば、杢目沈金といって、杢目(もくめ、独特の紋様)に金箔を刷り込む技法を用いており、これだと、申し分のないほど、 木調の美しさが際立つ。
1984年(昭和59年)には、重要無形文化財「木工芸」保持者に認定される。
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