◻️237『岡山の今昔』岡山人(20世紀、満谷国四郎)

2019-11-01 11:21:51 | Weblog

237『岡山の今昔』岡山人(20世紀、満谷国四郎)

 満谷国四郎(まんたにくにしろう、1874-1936)は、吉備郡総社町門田(現在の岡山県総社市門田)の生まれ。

 1891年(明治24年)には、岡山中学を退学して、上京する。翌年、小山正太郎の率いる東京の不同舎に学び、同郷同門の鹿子木孟郎などともに、1900年(明治33年)のパリ万博を目指して、アメリカ経由で初めて渡仏する。

 しばらくフランス各地をめぐり1年ほどで帰国する。 あちらでは、青紫系の明るい色彩を学んだらしい。その後、日清、日露の二つの戦争に取材した時事的な作品や、労働者家族の日常などを主題に取り上げた絵画も手がける。また、開設されたばかりの文部省美術展の審査員を務めるなどしていく。
 1911年(明治44年)年には、一度目の渡欧を行う。続いて、1914年(大正3年)には、二度目の渡欧をはたす。その際には、経済的な援助を大原孫三郎に仰ぐ。 そしてこの滞欧の際に、ピエール=オーギュスト・ルノワールを訪ねたりしたという。この渡欧の間に、それまでの「徹底した写実」から「非自然的で装飾的なもの」へと、画風が変わった。

 代表作には、「早春の庭」(1931)や「緋毛○」(1932)、それに「瀬戸内海風景」などがある。それらでは、自分独特の美の世界観に誘い込みたいかのような息遣いが感じられる。

(続く)

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