今年の、4月29日に書いたブログの続編です。
長いことお待たせいたしました。
気になっていて、つまり続編書かなくちゃあねえと…気になっていましてね。
ですから、今日やっと重い腰を上げて書こうという気になったのです。
以前のブログの最後のところに、こんな一言がありますよね。
「初めての個展から後になって、大好きな写真で食っていく道を・・・
実は見つけてしまったのでした。・・・以後、ちょっとしたブレイクを
体験いたしましたのです。」
前篇 ここまで で終わっておりますよね。
これはいかん、何とか続編を書かなくっちゃあ。そう思っていましたのです。
1987年に個展をドカアンと開いて、まあ望外の成功をおさめまして。こんなふうに書くのも嫌味だろうし、ちょっぴり恥ずかしいのですが、ある新聞記事により、ほんとに多くの人々が新宿の個展会場に、ドドどっと観に来てくれたのでした。都内版でしたが、5段くらいの大きい記事になって、ぼく自身がびっくりいたしましたのです。朝日新聞の社会部の記者さんでした。
そこには、賢治の視線で、東京の心象風景を撮っているという、たしかそんな言い方だったかと思います、確かにぼくはそんなふうに記者のインタビューに答えたのでした。
でも、とにかくマスコミの方への案内も、2紙にしか出していなくって、そのうちの1紙が、取材に来てくれまして、本人もびっくりのでっかい記事になっておりまして、ビックリ仰天。さあ大変です、
ドンドン皆さんが見に来てくださるんですね、本当にびっくりいたしました。
どんな写真かというと、都市の心象風景と言うしかないような、まあ、ぼくはずうっとそういう写真ばかり、雑誌のいろんな写真を撮る合間に撮り続けていたんですね。
藤圭子さんもきっと、新聞を見て見に来てくれたんだと思います。そのちょっと前に、雑誌のグラフ特集で、取材していましたが。
とにかく、個展で発表したような、へんてこな写真を、心象風景と言うしかないようなへんてこな写真を、ある日、カメラマン仲間のある友人から聞いていたストックフォト業界、という世界の人に見せたのですね。
ぼくはある日、そんなストックフォトの起ち上がったばかりのある社に見せましたら、どんどんへんてこな写真を択ぶんですね、まあ、都市の心象風景としか呼べないような写真を。で、何と、どんどん選び、そしてその会社のカタログにどんどん載せてくれるんですね、で、カタログに載るとどんどん売れるのでした、本当に驚きましたね。
まあ、とにかく今まで、広告の世界など全く縁もなく生きてきましたから、ビックリです。世はバブルの最後の頃かと思います。
そんなことが個展の後に、ぼくに起こったのでした。
まあ、ビックリするくらい売れたのです。
いまでは、すっかりストックフォトから全部写真を引き上げ、
昭和、平成から、令和となっていまぼくはいよいよオリジナルプリントの世界でやってゆこうと思っているのです。
何よりオリジナルプリントは、長い間、30年も40年も見ていただけるというのが実にうれしいと思うのです。ぼくは、自分の写真をしっかりと銀塩プリントで見ていただきたいと思うのですね。
フォト・文 石郷岡まさを