gooブログはじめました!散歩写真の達人 石ちゃんのフォトエッセイ ーーー30年の私写真散歩 少しずつお見せしましょう。

「東京原色図鑑」散歩とスナップ写真1万点。
80年代の東京も。大好きな写真家に、濱谷浩、石元泰博、森山大道氏等。

カメ漫だらだら石ちゃん散歩 その2

2012年11月06日 | 散歩 余暇 趣味 健康 デジカメ
 今回は写真のアップだ。いよいよ真打登場か、と緊張したが、ご本人、何を書くか脳の中でまとまっていないらしい。もっとも、だらだらと 筆の、筆じゃあないパソコンのキーボードのなりゆきに任せて気ままに始めた本ブログですのでまとまるも何もない、内容のない見事にない空っぽの頭をいくら振り絞っても何も出てくるまいが。志ん生なら、高座に上がってからも何の噺をするか決めていないままお客を焦らして焦らしてぐうっとひっぱっといて、噺を始めたらしい。らしいというのも、生で名人の高座を聴いたことが残念ながらないから、らしいとしか言えない。名人古今亭志ん生。間の話芸がこの落語家の至芸であると思う。ま、間抜けの間、間を持てない落語家が多いように思うのですが、いかが?

 志ん生といえば貧乏とオウム返しに返ってくるこだまかな。

貧乏だから、これだけの至芸が出来上がったのでしょうか。

 志ん生が病気で倒れた時から、おんぶして寄席を行き来したのが、ついこの間亡くなられた
古今亭円菊 だ。これも、つい最近亡くなったぼくの長兄から聞いたことだ。だから、かれこれ
20年以上も前に雑誌の取材、撮影で円菊師匠を寄席に、お宅にお邪魔して謹んで撮影、週刊新潮のグラフの記事となった。とても義理堅い人で、ちょうど宣材に使う写真がないからと、ポートレイトを若い無名のカメラマンに撮らしてくださり、お話も伺った。お弟子さんを取材撮影したことも何回もあった。世に志ん生のファンはゴマンといるだろうが、自分もその一人であるつもりだが、円菊の地味な世話がなければ病気で倒れて以後の志ん生の名高座は聴くことができなかったのだ。ああ、お疲れ様でした。円菊師匠。御冥福をお祈り申し上げます。


 アップする写真は、そのころの、つまり1980年代の東京で撮ったもので、確かに手ごたえのある、自称ですみませんが、1枚であります。題して「東京原色図鑑」。都市の心象風景などと気取ってこのようなわけのわからない写真を撮っていたのですね。










                      エッセイ・写真 石郷岡まさを

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