大好きな趣味を仕事に選んで、
決して後悔してはおりません。
ぼくが最近あるインタービューにビックリ仰天したことの一つを書けば、
それは、岡林信康さんのインタービューで、
聞き手は作家の高橋源一郎氏、
ぶったまげるほど驚いた一つのことは、
のちにフォークの神様 と言われる岡林氏は、何とギターを弾くこともまったくできない、もちろん歌うこととも全く無縁の一人のキリスト者という青年だったということです。
これには本当に驚きました。
ただ、世の中に言いたいことはいっぱいあったのでしょうか。
1970年前後、ぼくはほとんど音楽に慣れ親しむこともない生活を送っていたのですが、
社会的なことへの関心だけは受け売りにしろ持っていたと思うんですね。
そのころ、ぼくの生きた学生時代には、キャンパスの昼休みにはいつも学生自治会のアジ演説や、ビラまきが行われていたのですが、やっぱり受け取ると読むんですね、読むと自然と
ううむそうか、とかそれは違うんでは、などと思ったりすることも出てきたりするんですね。
ぼくのいた学園では、主流派の学生自治会が圧倒的多数派を占めていまして、へそ曲がりのぼくは、彼らのアジびらに啓発されながらも、もうちょい行動的ないわば直接民主主義とか、
より行動的な、平ったくいえば、より行動的な市民運動の流れのほうにシンパシーを感じたりするのでした。小田実氏の「べ平連」にじわじわとシンパシーを感じてゆくのでした。
そんな時、ぼくのいる街にも、新宿のフォークゲリラ、にたぶん影響されたか、とにかくそんな自然な流れがあり、学園を飛び出して、街の繁華街でギターを持って歌う青年や市民などが現れ出たのです。そして彼ら彼女らが歌う歌が、今から思うとジョン・バエズや岡林信康の
反戦歌であったりするのでした。
きょうはここまで。
フォト・文 石郷岡まさを