まさおレポート

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ブエノスアイレス紀行 ハイライト1

2025-03-02 | 紀行 チリ・アルゼンチン

ブエノスアイレス

カナダのトロントからサンチャゴを経由してやっとブエノスアイレスについた。地球の裏側にやってきたとの感を深めていた。日本の地面を垂直に掘り進めるとブエノスアイレスにたどりつくとよくジョーク混じりに言われるが、なんだか他の天体にやってきたような感覚に襲われていた。

シンクの水は日本とは反対周りに吸い込まれる。空の色も異なる。アルゼンチンの国旗はブルーが地色だがあれはこの地の空の色の印象からとられていると合点する。

予約してあったホテルはマンションの一室のようで受け付けもマンションの一室風だ。なにも表示がなければ受付だとはだれも気がつかない。これまでに経験したことがない。ドアを開けると若い男女が何やら事務をしており、こちらが入って行ってもあまり愛想が良くない。英語もたどたどしく対応も要領が悪い、従ってファーストインプレションはすこぶる悪い。何やらおかしな所に紛れ込んだような感さえある。

何とかチェックインして写真の部屋に落ち着いた。部屋は案外きちんとしているので、長時間のフライトで疲れている我々はひとまず眠ることにした。一眠りの後に受け付けにもろもろの手配を頼みに行くと新たに一人の小顔で痩せた長身の男がいた。年は20代前半とみたがどうも主任クラスのようだ。他のスタッフと同様にあまり愛想は良くないが、話しているうちに親切な風にも思えてきた。

聞けば彼はカラファテの出身だという。今から行くので適当な宿の紹介を頼むと早速手配をしてくれた。カラファテは南米大陸の南端の地の果てのようなところだ。そこで生まれて大都会のブエノスアイレスでホテルビジネスをしている。それも普通のホテルではない。この若いスタッフたちが資金を出し合って運営している。

窓越しの都会絵巻

ホテルの窓を開けると、目の前にそびえる巨大なマンション風のビル。その規則正しく並んだ窓の一つひとつが、まるで小さな舞台のように、人々の暮らしを映し出している。掃除をする主婦、窓辺で葉巻をくゆらせる男、食事の準備に忙しいメイド——それぞれの窓が異なる物語を語るように、生き生きとした生活の断片を覗かせる。

眼下の道路を行き交う人々もまた、映画のワンシーンのように想像力をかき立てる。急ぎ足のビジネスマン、犬を連れて散歩する老夫婦、買い物袋を提げた女性。誰もが自分の時間を生き、その一瞬が私の目には異国の風景として映り込む。

こうした何気ない景色も、旅先で見ると新鮮に感じるのはなぜだろう。どこにでもある日常の断片が、異国の空気をまとい、ひとつの絵巻物のように広がっていく。知らない街の窓の向こうに、人々の営みを見つける楽しさ。それが旅の醍醐味のひとつなのかもしれない。

ブエノスアイレスの街角にて

夕食を求め、ブエノスアイレスの街をそぞろ歩く。南米の夜は、熱を帯びながらもどこか優しく、黄色い街灯の光が石畳をほのかに染めている。通りの角ごとに洒落たカフェが並び、テラス席では人々が遅い夕食を楽しみながら、ワインを傾け、笑い声を響かせている。

ふと、ボルヘスの詩が脳裏をよぎる。

"ブエノスアイレスの明りよ、お前だけが友だった、
この街の明りでわたしの生と死を歌うのだ。"
(「薔薇色の店のある街角」より)

この街の光は、詩人の孤独と愛惜を映しているかのようだ。建物の影が柔らかく舗道に落ち、遠くのバンドネオンの音が空気を震わせる。この音こそがブエノスアイレスだ。かつてボルヘスが歩いたこの街を、今、同じように歩いている。そのことに気づいた瞬間、旅人の孤独がふっと薄れ、この街の明かりが確かに私を包み込んでくれるのを感じた。

ブエノスアイレスの街にて

広場の噴水が陽光を受けてきらめき、人々が思い思いに時間を過ごしている。ベンチに腰掛けて新聞を読む老人、青い旗を掲げて訴えをする人々、木陰で談笑する青年たち、ブエノスアイレスの街は、今この瞬間も歴史を刻み続けている。

バロック様式の建築が連なるこの街には、ヨーロッパの名残が色濃く漂う。だが、そこに流れる空気は確かに南米のものであり、太陽の熱とタンゴの旋律が染みついた、独特の活気に満ちている。アルゼンチンの歴史を見守り続けたこの広場には、過去の亡霊と現在の人々の声が交錯するようだ。

歩みを進めると、どこからかバンドネオンの音色が聞こえてくる。風に乗って響くその調べは、この街の魂そのものかもしれない。

五月広場にて

ブエノスアイレスの中心、五月広場(Plaza de Mayo)。地下鉄の出口から地上に出ると、陽射しがまぶしく、広場を囲む緑の木々が風に揺れている。目の前には、歴史を見守り続けるコロニアル様式の建物が並び、都市の喧騒の中にもどこか静謐な空気が漂っている。

この広場は、アルゼンチンの歴史の舞台であり、革命の足跡が刻まれた場所だ。1810年の五月革命、フアン・ペロンとエビータが群衆に語りかけたバルコニー、独裁政権下で子供を奪われた母親たちが歩いた白いスカーフの輪。この場所は、単なる広場ではなく、幾多の声と記憶が積み重なった、生きた歴史の象徴である。

歩みを進めると、広場の片隅でアルゼンチン国旗を掲げる人々の姿が見える。政治の中心地でありながら、人々の思いが交差する場所でもある五月広場。ブエノスアイレスの鼓動を感じながら、私はこの歴史の只中に立っていた。

ブエノスアイレスの街角にて

交差点に立ち止まり、喧騒の中に身を置く。信号待ちの車が列をなし、クラクションが交錯する。ビルの壁面を埋め尽くす巨大な広告、カラフルな看板、足早に行き交う人々。ここはブエノスアイレス、その躍動感に満ちた街角である。

ふと見上げると、スポーツカーの広告が目を引く。ラテンアメリカ特有の派手な色彩とデザイン、見る者の視線を強引に奪い去るようなエネルギーがある。この街では、すべてが主張し、すべてが動き続けている。停滞するものは、何もない。

通りを埋め尽くすタクシーの黄色い車体が、リズムを刻むように縦横無尽に走る。その中を縫うように歩く人々の足取りは軽やかだ。昼と夜の境目が曖昧なこの都市の空気に、旅人の心も少し浮遊する。

ブエノスアイレスの街角で

夕暮れのブエノスアイレス。通りの片隅で目を引くのは、なんとも奇妙な光景だった。買い物帰りらしき人物の横を歩く一匹の犬、そしてその後ろをぴったりと追いかける一羽のアヒル。まるで昔からの相棒のように、アヒルは犬の歩みに合わせるでもなく、しかし決して離れずについていく。ときおり首を伸ばし、くちばしで犬の尻をつつく。そのたびに犬はびくっとしながらも、特に怒る様子もなく、ただ無言で歩き続ける。

街灯が灯り始める広場の一角、行き交う人々もこの異色のコンビをちらりと見やるが、特に驚く様子もない。ブエノスアイレスの喧騒の中では、こんな光景もまた日常の一部なのかもしれない。犬とアヒルがともに歩く夕暮れの街、それはこの都市の雑然としたエネルギーの中にふと現れた、静かなユーモアのひとこまのようだった。

国会議事堂の前で

ブエノスアイレスの中心にそびえる壮麗な建築、アルゼンチン国会議事堂(Palacio del Congreso Nacional。ギリシャ・ローマ様式を基調とした重厚なファサード、堂々たる列柱、そして鮮やかな緑青を帯びたドーム。その姿は、この国の歴史と誇りを象徴するかのように威厳に満ちている。

1906年に完成したこの議事堂は、アルゼンチンが近代国家として歩みを進めた時代の象徴でもある。広場を挟んで見上げると、建物の屋根には勝利の女神ニケが翼を広げ、議事堂を守護するかのように立っている。その姿は、この国が幾多の政治的変遷を乗り越えてきたことを静かに物語っている。

議事堂前の広場には、ベンチに腰掛けて談笑する人々、新聞を広げる老人、そして行き交う車のクラクションが響く。かつてこの場所で、多くの政治的運動が繰り広げられ、民衆の声が響き渡った。今もなお、歴史の鼓動がここに生き続けている。

歩みを進めながら、私はこの建物が見守ってきた幾世代の人々の思いに思いを馳せた。

タンゴの夜、ブエノスアイレスにて

その夜、アルゼンチンタンゴの店に足を踏み入れた。暗がりの中、テーブルに置かれたキャンドルの灯がほのかに揺れる。静かなざわめきの奥で、バンドネオンの音が響き、ゆっくりとステージの幕が上がる。

アルゼンチンタンゴは、この街のラ・ボカで生まれたとも言われる。今から150年ほど前、アルゼンチンは繁栄の絶頂にあり、ブエノスアイレスは「南米のパリ」と称された。だが、華やかさの裏には、移民たちの孤独と郷愁があった。彼らが祖国を想いながら奏でた旋律が、やがてタンゴという形になっていった。

ステージでは、踊り手たちが情熱的なステップを刻む。かつてこの場所で見たのは「ラ・クンパルシータ」だったか、それとも「エル・チョクロ」だったか。あるいは「ジーラ・ジーラ」や「バンドネオンの嘆き」だったのかもしれない。音楽とともに記憶は混ざり合い、もうはっきりとは思い出せない。ただ、あの夜、タンゴの哀愁と熱情が確かに心を揺さぶったことだけは、今も鮮やかに覚えている。


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