関西国際空港の建設案が浮上したのは、1960年代後半から1970年代初頭にかけてです。当時、大阪国際空港(伊丹空港)の騒音問題や混雑が深刻化しており、新たな国際空港の必要性が議論されるようになりました。その結果、1970年代後半には新空港建設の具体的な計画が進み、1987年に建設が正式に開始されました
1985年はわたしが37歳で転機になりかけた年ですがそうはなりませんでした。なぜご破産になった . . . 本文を読む
詫間電波高校の毎年恒例の同窓会で神田神保町の集まりに出かけた。いつのも如く昔ばなしに花がさくのだが、そして何回も聞く話もあるが初めて聞く新鮮なエピソードも飛び出す。
微分積分学を教えていた大塚先生は高浜虚子の弟子だったという。これは初めて聞く話で面白い。この授業は渡辺孫一郎の教え子である大塚先生が大学で用いる微分積分学を用いてとても高校レベルではない授業を講義した。定年後に香川県に帰ったのだろう . . . 本文を読む
長年行ってみたかった毛越寺と平泉中尊寺に詣でた。
かつて高校で詫間の大塚政量先生が自ら8ミリでとって見せてくれた毛越寺詣でが60年ぶりに実現した。かつての大伽藍も夢の跡。浄土の池をイメージしたとか。すっくと聳える。池が湖面に。
以下中尊寺。
参道をゆっくりゆっくりと。ほこらになった。
さみだれに ふりのこしてや ひかりどう
平泉
三代の栄耀一睡の中にして、大門の . . . 本文を読む
墓は故人を偲ぶものだが維持していくのが結構大変な時代に入っている。仏陀の時代も亡くなると舎利(お骨)が8つに分割され、さらに滅後アショーカ王の時代に8万4千に分割されたとの伝説が伝わる。
8万4千はいくら何でも無理な誇張だが数千に分けられてインド各地にストーパができたのだろう。遺骨の一般的な重量が10キロ前後と言われているので8万4千に分けると0.1グラム以下になるがこれではいくら何でも微細すぎ . . . 本文を読む
なぜか歎異抄のこの一節が眠りばなの脳中に飛び込んできた。そして自らの若い時の啓示に近いある出来事を思い出していた。
いずれ詳しく語る時がくるだろうが今はその記憶の再来で深い慰謝を得た。神仏に生かされた人生だったのを鮮明に意識して感謝した。キリスト教であれ構わない。非寛容な神は遠慮したい。
こんな記憶やことばが出て来たのは熱病の回復期のせいかもしれない。
それにしても親鸞の . . . 本文を読む
バリの空の下にいながら遠い昔の些細なことが頭に浮かぶ。頭は常にこうして泡を深いところからあぶくのように吐き出しているのだろうか。吐き出しているというのは適切ではないかもしれない。数十年をおいてまた浮かび上がってくるのだから。
ジャック佐藤という英会話の先生がいた。20代の頃にすでに40代だった。英会話ばかりでは退屈して飽きるので時折米国ミシガン大学に留学時のエピソードを語って聞かせる。
大学の . . . 本文を読む
一体どこでどう押せばこんな夢を見るんだろう。
リングに上がる前に蹴られても大丈夫なようにトランクスの頑丈なものをはくのだが、そうするとおしっこがしたくなっても上手く出ない。悪戦苦闘している。足首も怪我していてキックなどできない。体も柔軟に動かない。一体どうして戦おうというのか。 . . . 本文を読む
わたしの人生は偶然の連鎖だ。これまで書いたことはなかったが遊行期に突入するので簡単に記録しておこう。
60歳の父と40歳の母の間に偶然のように生まれた。曾祖母が箕面の前を参勤交代で通った縁かもしれない。いやきっとそうだ。父と母の出会いもものすごい偶然だがそれば煩雑になルので他の機会に記したい。
2階から転げ落ちて母の働く結核病院で結核性の関節炎を感染、で歩けなくなるが肺結核にはかろうじてならず . . . 本文を読む
母をおもふ 夜中に目をさましてかじりついたあのむつとするふところの中のお乳。 「阿父さんと阿母さんとどつちが好き」と夕暮の背中の上でよくきかれたあの路次口。 鑿で怪我をしたおれのうしろから切火をうつて学校へ出してくれたあの朝。 酔ひしれて帰つて来たアトリヱに金釘流のあの手紙が待つてゐた巴里の一夜。 立身出世しないおれをいつまでも信じきり、自分の一生の望もすてたあの凹んだ眼。 やつとおれのうち . . . 本文を読む
NTTのOB 87才元黒潮丸無線通信士が語る昔話(YouTube)が面白かった。
黒潮丸は海底ケーブル敷設船5000トンで世界の海を渡り歩く。(NTTなのだが世界中のケーブル敷設船は助け合うことになっている。)
荒海の彼方アフリカから電離層を反射してやってくる蚊の泣くようなモールス信号を全神経を集中して聴く。
たった1通の180円にしかならない電文を聞き取れないので何度も何度 . . . 本文を読む
今は亡き人をぼんやり考えていたらその人が何かの折に言ったジョークを思い出した。前後の話は忘れたがその見事な言い回しとおかしさに一拍置いて吹き出したものだった。はるか昔40年も前のできごとだ。その人はかひでみるよりするがいいとだけ言ったのだが次のyahooの質問コーナーが丁寧に大真面目に回答している。
「富士山は甲斐で見るより駿河いい」の意味がわかりません。そのままではないと思うのですが。
. . . 本文を読む
これは定番の夢だ。定番と言っても10年に一度見るかどうかだが。突然クビになって職探しでビルの2階にいる。カフェかクラブのようなで中年を過ぎた男性が10名ばかりいる。その中の一人が話かけてきて仕事がないのかと尋ねる。紹介するのでそこで待っていろと云う。しばらく待つときんきらの下品な服を纏った男が現れた。なにができると聞かれる。システム設計などできるとう云う。するとその男も周りの人も一斉に笑い出した。 . . . 本文を読む
先月7月11日に80歳で亡くなった登兄を送るにふさわしい詩があった。まだ49日は経っていない。兄よ安全なる航海を祈る。
「安全なる航海を祈る」 村上昭夫航海を祈るそれだけ言えば分かってくる船について知っているひとつの言葉安全なる航海を祈る その言葉で分かってくるその船が何処から来たのか分からなくても 何処へ行くのか分かってくる寄辺のない不安な大洋の中に . . . 本文を読む
75年生きてきて価値観が大きく変わったなと思う点が一つある。地殻変動とも言うべき変化が起きた。戦前・戦後世代は「何がなんでもやらなければならない時がある」と考えていた。ガンバリズムが大事だと骨身に叩き込まれた。一世代前の人たちは大東亜戦争も負けると分かっていた人もいたがそれでも戦った。(学徒動員された人の談話によると)特攻隊はその最たる例だろう。
わたし自身の体験もある。40年ほど前のNTT . . . 本文を読む
7月12日に次兄が亡くなった。80歳。
15日の葬儀に大阪へ行った。既に8日目になる。句を作って兄を偲ぶ。
さまざまな思いよぎる 炎天の葬
亡き母に似るその顔に 娘は酒を含ませる
青いトマト喰う 戦後話を孫聞き流す
すねくるぶしの骨太さ 生きた証を物語る
ホンダベンリー 雨の2号線二人乗り 泣く母
俺12兄17の盆踊り 喧嘩を助けられ 兄ヒーロに見える
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