ゴロゴロ音から始まるお話
動物ドキュメンタリーを見ていて、ライオンが 獲物を仕留める瞬間にゴロゴロ音(パーリング) を発するシーンに目を奪われた。ゴロゴロ音といえば、ネコ科の動物が リラックスしているときの音 だと思っていたが、実際には違うらしい。ある説によれば、あの音は 「獲物の苦痛を和らげるため」 に出しているという。
不思議な話だ。筋肉の緊張を緩和し、鎮痛効果をもたらす周波数(25〜150Hz) のゴロゴロ音が、進化の知恵 として備わっているのだという。ライオンは獲物に「痛みを忘れさせ」、余計な抵抗を減らして仕留める。この行動は本能なのか、進化の中で「都合よく備わった能力」なのか、どうにも心に引っかかる。
この話を考えているうちに、ふと 人間の心の働き に思いが至った。私たちは苦痛を避けたいと思う一方で、なぜか 苦痛を超えた先の快楽 を求めてしまう生き物だ。たとえば マラソンハイ(ランナーズハイ)。長距離を走る苦しさの果てに、 エンドルフィン(脳内麻薬) が分泌され、 多幸感 を得る現象だ。
運動すること自体は辛いのに、なぜか 快感の波 が押し寄せる。ランナーはこの瞬間を求めて走り続けるが、これはライオンのゴロゴロ音と似ている気がする。苦痛が快楽に転換される瞬間 は、体が 進化の回路に操られている のかもしれない。
この話を続けるなら、 フョードル・ドストエフスキー の 『カラマーゾフの兄弟』 に登場する ゾシマ長老 のような 宗教的な苦行者 たちの姿も思い出す。修道士たちは自らを 鞭打ち(ペンシェンス)、 断食、 座禅 などの 苦痛の儀式 に身を投じる。それは単なる 自己罰 ではなく、 「神への奉仕」 という 物語に支えられた行動 だ。
もし「神」が存在しないならば、これらの苦行は無意味に思える。しかし、 「神は存在する」という物語 を共有しているからこそ、苦行は 「魂の浄化」 へと意味付けされる。ここには、単なる神経科学的な報酬系では説明できない 精神的な物語の力 がある。
この物語の力について考えていると、 ユヴァル・ノア・ハラリ の 『サピエンス全史』 が思い浮かぶ。ハラリは、 「物語を信じる能力」 が人類を地球上で 最も強力な種族 にしたと説く。宗教、国家、法律、企業、貨幣… すべては、 物語による虚構の共有 によって成立していると。
ここで見えてくるのは、 人間は物語によって苦痛を快楽に転換する生物 だという事実だ。 「苦しみは意味のある試練だ」 と信じることで、 苦痛そのものを価値ある経験に変える。人間は単なる動物ではなく、 痛みを物語に つまり快楽に変換する能力 によって進化を遂げたのかもしれない。
ライオンのゴロゴロ音について考えているうちに、ひとつの思い出が蘇った。かつて、 前妻が亡くなる直前、 呼吸困難の苦痛 を抱えながらも 最後には来世を思い安らかに息を引き取った光景 が心に浮かぶ。
痛みと安らぎ、苦しみと静寂 が交錯するあの瞬間には、まるで 苦痛を癒す不思議な力 が働いているようだった。科学的な説明がつくのか、それとも 人間の心が意味を求める本能 によるものなのかは分からない。ただ、 痛みが消える瞬間 を信じる力が、最後の一息に宿っていたように思える。宗教の原点ではないか。
結局、 苦痛を快楽に変える力 は、 ホモ・サピエンスの物語化能力 による 進化の結晶 なのだろう。ライオンの ゴロゴロ音 が 進化の知恵 として機能するように、人類も 苦しみを超える物語 を生み出し続けることで、地球上の 最強の支配者 になった。別の力としてモルヒネがあるがこれについては別途考えてみたい。(物語がモルヒネ様の、しかも依存性のない快楽を生み出すのかもしれない。)
物語を紡ぐ能力こそが、苦痛を克服し快楽へ変える未来へ進む力。人類は、これからも 苦痛と快楽の間 を行き来しながら、 新たな物語 を創り続ける。
ライオンは、ヒョウ亜科であって、ネコ亜科ではなく、
ゴロゴロを生成するための器官が備わっていません。
チータならゴロゴロができるので、そちらのことでしたでしょうか。