受難のファサード ジュセップ・マリア・スビラックの彫刻
受難のファサード 謎の魔方陣。縦横斜めいずれを足しても33になる。何を意図しての魔方陣か。33はキリストの死亡した年齢。ジュセップ・マリア・スビラックの彫刻。(裾で隠れている数字は15)
受難のファサード ジュセップ・マリア・スビラックの彫刻 。
ガウディの . . . 本文を読む
サグラダファミリ
サグラダ・ファミリア大聖堂の「生誕のファサード」に立ち、目に飛び込んでくるのは、中央に鎮座する「生命の木」だ。この糸杉の木は、永遠の命を象徴し、その枝に止まる白いハトは、神のもとに集う信者たちを表している。アンティ・ガウディはこの「生命の木」を愛し、自らの手で細部にわたるまで監修した。
ガウディは31歳の若さでこのプロジェクトの主任建築家に就任し、人生の大半をこの大聖堂に . . . 本文を読む
グエル公園
2日目のバルセロナ観光は、ガウディの独創的な世界が広がるグエル公園へ向かった。地下鉄を乗り継いで中心部から住宅街へと移動したのだが、手元のガイドブックが混乱の原因に。1冊は徒歩15分、もう1冊は20分かかる駅を推奨しており、どちらが正しいか悩んだ末に、徒歩15分と記されていたVallcarca駅で降りることにした。
しかし、この決断は予想外の展開を迎えた。駅を降りた後に待ってい . . . 本文を読む
カタルーニャ美術館
バルセロナのエスパーニャ広場は、この街の歴史と文化を象徴する重要な場所だ。この写真に写る二本の塔は、「ベネチアの塔」として知られ1929年開催のバルセロナ万国博覧会に建てられた。モデルとなったのは、ヴェネツィアのサン・マルコ広場にある鐘楼だ。なるほどね。
この写真の背後に見えるのが、ムンジュイックの丘の上にそびえる国立宮殿(Palau Nacional)でカタルーニャ美術館 . . . 本文を読む
カサ・バトリョの室内に飾られた、この一風変わった灯りは、まるで海底から浮かび上がってきた奇妙な生物のようだ。複雑に入り組んだ装飾と、渦を巻くような形状は、まさに自然界の神秘を思わせる。だが、驚くべきことに、この灯りはアントニ・ガウディが手掛けたものではないという。
ガウディがこの建物全体を設計し、曲線と自然の形態を随所に取り入れたことは周知の事実だ。しかし、この灯りは、彼が直 . . . 本文を読む
ユーレイルパスを手に、次なる冒険に心を弾ませていた。イタリアからスペイン、バルセロナへの列車の旅を決意した。イタリアの魅力に既に浸り次の章はスペインだ。
ボローニャの駅に切符を買いに行くと、予想外の返答が待っていた。予定していた土曜夜の寝台列車はすでに満席で金曜日の出発に変更し、個室寝台を確保したはずだった。長い道のりを思い描きながらほっと一息した。ところが実際にミラノから19時50分発の列 . . . 本文を読む
サン・ペトロニオ聖堂
ボローニャのマッジョーレ広場にそびえ立つサン・ペトロニオ聖堂は、未完成のファサードがその歴史的背景と街の複雑な過去を物語る、特別な存在。1390年にその建設が始まった当初、聖堂はさらに大規模なものとして計画されていたが、様々な困難に直面し、現在の形に落ち着くことになった。
聖堂は、5世紀にボローニャの司教を務めた聖ペトロニウスにちなんで名付けられている。彼は街の守護聖 . . . 本文を読む
アレーナ・ディ・ヴェローナ
アレーナ・ディ・ヴェローナでのオペラ観賞は、時空を超えた体験だった。2006年6月ボローニャからヴェローナへの一泊旅行で、ヴェルディの『アイーダ』の公演を観るために訪れた。当時携帯の着メロまで「アイーダ」に設定するほどお気に入りのオペラを、1世紀末に造られた古代ローマ最大の円形劇場で鑑賞する、何とも特別な贅沢であった。
思い返せば1989年の夏、ベネツィアからミ . . . 本文を読む
サン・マルコ聖堂
サン・マルコ広場に座り、目の前に広がる壮大な風景に圧倒されながら、私はゲーテやマキャベリ、そしてアンデルセンがヴェネツィアをどのように感じ、どのように言葉にしたかを思い浮かべていた。この場所は彼らにとっても、私にとっても歴史が織りなす「生きた記念碑」であり、一つの文化、一つの民族が作り上げた芸術作品だ。
ゲーテが『イタリア紀行』で語ったように、この場所は「一君主の作り上げ . . . 本文を読む
食い物
ナポリに根付く「真の味わい」は日本と少し異なる。ナポリでは、ピザ生地が高温の薪窯でわずかに焦げるまで焼かれることが一般的だ。これは、焼けた生地が持つ独特の香りと、風味豊かなトマトソース、オマール貝など新鮮な海産物とのバランスが絶妙であり、ナポリの食文化の核にある「シンプルな食材を最大限に活かす」を反映している。
日本でのピザの焼き加減は「焦げは発がん性を持つかもしれない . . . 本文を読む
ヴェネツィアの街角で、ふとした瞬間に立ち止まる。観光名所を巡るのではなく、ただ街を歩く、そんな時間が何よりも贅沢に感じられる。つれあいのショールは、明るい陽射しを浴びて風に揺れ、そのパープルの模様が、街の色と自然に溶け込む。
ムラーノガラスの店先に立ち寄っては、ガラスの中に閉じ込められた色彩や模様に目を奪われる。小さなグラスや瓶の中のどのガラスも、職人たちが一つ一つ丁寧に作り . . . 本文を読む
ドゥカーレ宮殿
この写真は「嘆きの橋(Ponte dei Sospiri)」でドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)とその向かい(写真では右)にある旧牢獄を結ぶために作られた。
この橋は、1600年頃に建築家アントニオ・コンティーノ(Antonio Contino)によって設計され、白い石材が使われている。この橋は、ドゥカーレ宮殿の裁判所から新しく建てられた牢獄(Prigioni Nu . . . 本文を読む
ベネツィアと言う運河の街に足を踏み入れるたびに、その美しさに心を奪われる。水面に映る古い建物の影、ゴンドラが静かに進む音。そんなベネツィアも、近年は厳しい現実と向き合わざるを得なくなっている。
2018年10月29日、サン・マルコ広場が閉鎖されたというニュースを耳にしたとき、私は驚きを隠せなかった。観光客たちは急ごしらえの高床式の歩道を歩き、地元の人たちは懸命に水をくみ出していたという。水位が観 . . . 本文を読む
大道芸人の独白。
夕暮れのベネツィア。私はまた、この街角に立っている。ここに来るのは何度目だろうか。どの街も私にとっては同じだと思っていた。どこへ行っても、私はただの通りすがりの異邦人に過ぎない。
私は今日もパントマイムを演じる。この芸は私にとっての言語だ。誰もが理解できるし、誰もが私を理解してくれる。だが本当は、この静かな動きの中に、私の孤独の声を隠しているのだ。私は故郷の家族、友人、か . . . 本文を読む
ナポリ
ナポリの霧がかった港に船が静かに滑り込む。あの丘の上に広がる街並みが徐々に現れるのを見つめながら、私の胸には幼少期の記憶が甦ってくる。ポッツオーリの狭い路地、海の香り、喧騒と活気に満ちた市場。そう、私はここで育った。ナポリは私の魂、私の原点。どんなに遠くに行っても、心の中にいつもこの街がある。
私の名前は世界中に知られるようになったけれど、私の心の中にはいつもナポリの娘がいる。生き . . . 本文を読む