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モロッコ・カスバ街道 白のかぶりものにオレンジのジュラバ、モロカンブルーの空、ダークベージュの塀に見とれる。
「何をながめているの」
「オアシスの景色よ。仕事が終わるといつもここにくるの。ここに座っているだけで気持ちが落ち着くの」
バリ・クタビーチ マッチョなオーストラリア人青年と超グラマラスな女性がビーチ・テニスで遊んでいる。
「おっと」
「しまった」
「ほれ」
「ああ、や . . . 本文を読む
2003年12月にスイスのジュネーブでの国連ITU主催の催しに参加し、次いでチュニジアのカルタゴを訪れた。以下はカルタゴ紀行1 2015年稿の加筆版です。
カルタゴとカルタフェが頭の中で結び付かなかった。それくらいの知識でチュニジアに出張した。向かう機中でお隣の席の同行者にローマ史に詳しい方がいた。ハンニバルのアルプス越えや象の大群をひきつれて山脈を越えようとしたこと、象は途中でほとんどが死 . . . 本文を読む
チュニジアのキリム。
チュニスの絨毯屋。
チュニスのとある店で絨毯を織る女性。
ローマ時代のハドリアヌス水道橋。
ローマ水道は20kmから91kmと計11本ありローマ以外も含めるとこのハドリアヌス水道が最も長く141km。
ハムダ・パシャ・モスクの塔。チュニス メディナ ジトウナタワー モスクミナレット
チュニスの旧市街メディナのスーク(市場 . . . 本文を読む
人込みで賑わうメクネスのマンスール門前。
タルーダント ロバで散策する。このロバは母親で子供がつながれている場所までくると気になって仕方がないらしくこのおじさんの意向に従わず盛んにそちらに向かおうとする。
ボルビリスへの道すがら小花が咲き乱れる。
マラケシュの医院でねん挫した足のレントゲンに見入るつれあい。
スーク エル・バリの入り口にあるブージュルード門。 . . . 本文を読む
モロッコの代表的色彩は何かと問われるとマラケシュの赤が浮かぶ人が多いだろう。わたしはむしろラピスラズリあるいはウルトラマリンと呼ばれるブルーではないかと感じている。モロッコにあるイブ・サンローラン邸宅跡の公園にはこのウルトラマリンが多用されている。ウルトラマリンは貴重な色で昔から金より高い顔料とされてきた。
ツタンカーメンのマスクの縞模様はラピスラズリ。
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新天皇についてのエピソードでは、雅子皇后とのご成婚にも尽力した山下和夫東宮侍従長が登場する。山下氏はモロッコ大使を経験した経歴を生かし、1991年に徳仁皇太子のモロッコ訪問を実現させる。ご成婚後、最初の外国訪問もアラブ諸国だったが、新天皇とアラブ諸国との縁は、皇太子時代のモロッコ訪問から始まったと言ってもよい。 . . . 本文を読む
マティスは1912年の1月末から4月までモロッコのタンジールに滞在した。タンジールの人たちが水槽の金魚をあきることなく眺めていることに感動して描いた作品だという。わが娘が描いたといってもそれほど驚かないほど素晴らしく無邪気な絵だ。
Henri Matisse, Le café Maure(Arab Coffeehouse), 1911-13, oil on canvas, . . . 本文を読む
flikrを整理するときがきたようだ。約3万枚の写真をダウンロードし終わったが大変な作業になった。すでに22年が経つのか。1997年の旅は写真が小さく、数も少ないのが残念だ。
すでにモロッコ紀行1、2を書いているが1997年のものをアップしていないことに気がついたのですでにモロッコ紀行3を追加します。これは確かユーレカかな。
渓谷の頂の間から陽が射す。
風でできた丘。
エッ . . . 本文を読む
既に13年前の思い出になる。モロッコ・マラケシュのとあるホテルにチェックインした。ホテルの入り口がわかりにくく少し苛ついた。ようやくホテルのポータが近づいてきたがもっと早く来いと思いながらスーツケースを運んでもらう。長旅で疲れているのに輪をかけてフロントでチェックインにもたついてさらに苛つく。
ようやく部屋に入り、やれやれとシャワーを浴びようとしたがなんとバスタオルが見当たらない。フロントに持っ . . . 本文を読む