光源氏は一度でも関係した女を捨ててしまうことはなかった。これが源氏物語を不朽の名作にしている、光源氏の多情性と不倫がこの一点で危ういバランスをとって単なる色好みの物語から深い人間性をたたえる物語に昇華している。醜女の末摘花を情人として一生捨てなかったエピソードはその端的な例になる。
末摘花は、彼の多くの愛人の中でも特に独特な存在であり、彼女に対する光源氏の態度は非常に象徴的だ。末摘花 . . . 本文を読む
源氏物語は近親婚タブーと仏教的倫理観の相剋の歴史的接点での物語と読むことができるのでは。
この問題を本格的に論じる基礎学力もなければ能力も無い、ただこの物語をなぜ書かしめたのか、この物語の本質はどこにあるのかをバリ島滞在以来考えるともなく胸に置いてきた。既に15年がたちそろそろ何か思いつくことがあっても良い。
近親婚排除、これこそがこの物語の最大のテーマであり藤 . . . 本文を読む
梅原猛や鈴木大拙は源氏物語は精神の深いところを扱わないとして軽く見た。万葉集も同じく子供の感動と同列のものを掲げたと言う。なぜこんな風にいうのだろうと不思議な思いにとらわれその理由を長い間胸に温めてきた。道元は母が父に略奪婚されて生まれた子で生涯色恋を遠ざけたと紀野一義に学んだ。梅原猛も父に対して道元が抱いた鬱屈と同類のものを生涯抱いた。鈴木大拙については父に早く死なれ母っ子のような感じがしている . . . 本文を読む
つれあいコロナに遅れること1日でわたしも発熱、37度の真ん中を行ったり来たり。昨日から今日にかけてベッドに伏しております。体の節々が痛い、喉が微かに気になるのでハチミツを少しずつ舐めていると効果があるようだ。目を使うのはよく無いのでYouTubeで源氏物語を聴いている。沼田さんの朗読はお上手ですね。 . . . 本文を読む
源氏物語の帚木をYouTubeで聴いていたら方違えと言う言葉が耳に引っかかって来た。そこで2人の知人を思い出した。
1人は電電公社学園時代の友人で彼が結婚後相当経ってから何かの拍子に2人で飲んだ。どういういきさつで会ったのかは思い出せないが新橋のガード下だった。
多分よもやま話しの中で出てきたと想像するが彼の奥さんが方位に凝っていて、その影響は生活の隅々にまでいたり、ハッキリは . . . 本文を読む
源氏物語は天晴れと哀れを交互に繰り返す物語で、「もののあはれ」とはその繰り返しの中にこそあるということをこの長編で紫式部はいいたかったのだろう。筋を追ってみると天晴れと哀れが交互に繰り返されている。
因果応報を否定的に捉えずに人の世の常として肯定していることがわかる。煩悩(好色)の果てにしか成道(平安)はないと紫式部は描いている。山頭火の業苦と光源氏のそれは人として同質のものであり山頭火の得た平 . . . 本文を読む
源氏物語の評価は折口信夫と鈴木大拙や梅原猛が真っ向から対立している。なぜこうも評価が分かれるのだろうとの疑問を呈した下記のブログ稿で書き足したいことがあった。
それは折口信夫が古代の世界を渉猟し巨大な民俗学を構築しながら無信仰であったことであり、一方で鈴木大拙や梅原猛が仏教信仰者あるいは賛同者であることです。
折口信夫は源氏物語の光源氏を神の化身と考え、鈴木大拙や梅原猛は光源氏を単なるスケベ野 . . . 本文を読む
(画像はルオー『嫉妬』ベルゲン美術館)
さて源氏物語の六条御息所をはじめとした登場人物は無明に苦しみながら最終的に救済されたのだろうか。答えは供養により「救済された」
葵の上
六条御息所の嫉妬はこの世にいる間に生霊となって懐妊中の葵の上を苦しめ、死に追いやる。
葵の上は六条御息所の生霊によって取り殺されたが、光源氏の心からの哀悼により成仏したと考えてよい。
経忍びやかに読みたまひ . . . 本文を読む
男は嫉妬をどうおもうのか
夫人はすっかり六条の御息所になっていた。源氏の否定してきたことが眼前に事実となって現われているのであった。その人はますます御息所そっくりに見えた。あさましいなどという言葉では言い足りない悪感を源氏は覚えた。
光源氏は「あさましいなどという言葉では言い足りない悪感」つまり嫉妬をこの世でもっとも醜いものと感じている。
男と女のこの嫉妬に対するこの感覚の違いが古今の物語で . . . 本文を読む
瀬戸内寂聴が源氏物語は皇室ゴシップを流行作家がかいたものだと思って読むといいと書いていた。島田雅彦はエロ本でもあるとBS歴史で語っていた。
現代から見てほとんど興味の持てない話題が延々と続き、やれやれ又女との話かとなかばうんざりしながら読み進めると、はっとする表現に出会う。
俗の極みにある光源氏の所業の中にところどころはっとする聖なる表現があり、その煩悩即菩提の物語が過去千年の読み手を魅了 . . . 本文を読む
源氏物語は反省の文学源氏物語 折口信夫
これを読んで、紫式部は藤原道長と一族の罪障を光源氏の物語を依り代にして移し替える行為と思えた。つまり生身の罪障を物語の主人公に移すという考え方があったのではないかと。
藤原道長は「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」という傲慢な歌を詠む男だ、数々の罪障を背負っている自覚があっただろう。紫式部は藤原道長との阿吽の呼吸の中 . . . 本文を読む
源氏物語の薫は体内から芳香が出るという。源氏物語の時代は盛んに香をたいたのだが薫の放つ芳香は内面からでる。
人の体から芳香が立ち上るという経験を長い人生で2度したことがある。いずれも30代のころだから40年ほど前のことになる。二人とも20代後半の女性だ。
なぜ香水でなく、体内からでた芳香だとわかるのか。いずれも会話中に何かの拍子に漂ってきた息の匂いだからで、これは外部からは不可能で匂い美女とで . . . 本文を読む
{桐の裁判所}ある統治時代には、皇帝が他の誰よりも愛した一流ではない女性がいました。野心の高いおばあさんは、彼女を思いがけない新進気鋭だと思っていましたが、それ以下の女性はさらに憤慨していました。
彼女がしたことはすべて誰かを怒らせた。おそらく何が起こっているのかを知っていたので、彼女は重病になり、法廷よりも家で過ごす時間が増えました。皇帝の哀れみと愛情はかなり限界を超えました。彼の女性や廷臣が . . . 本文を読む