まさおレポート

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「北橋茂男 暁烏先生と私」と題された冊子に一村が表紙挿絵を描いている

2024-11-25 | 紀行 日本
都美術館の一村展で見つけたのだが「北橋茂男 暁烏先生と私」と題された冊子に一村が表紙挿絵を描いている。暁烏先生と言えば暁烏敏、浄土真宗の色々な意味で有名だった人物だ。紀野一義氏の研究中に知った。 その人と一村はどんな関係があるのだろうと気になった。北橋茂男はオムライスで財を成した人物でやはり石川県出身の暁烏敏を尊敬していたのだろうか。こんな冊子を残した。 一村は北橋氏に依頼されてやわらぎの郷太 . . . 本文を読む

腰痛にもかかわらず二日連続で都心を歩き回っている

2024-11-23 | 紀行 日本
2日連続で都心を歩き回っている。腰痛は痛いからと言ってじっとしているのもいけない。昨日は友人と田中一村展を再訪して1万歩近く歩いた。さすがに疲れて今朝起きると筋肉痛と腰痛でどうしようと思案したが少し動いているうちに歩けそうになったので銀座コリドー通りのNTTデータ時代のとあるプロジェクト同窓会に出席する。出席者の最高年齢94才をはじめ86、85、83、82、80、79、78と76のわたしが最年少の . . . 本文を読む

田中一村 追記

2024-11-20 | 紀行 日本
  手安の弾薬庫跡昭和7年に旧陸軍により構築された弾薬庫。二重壁の構造。戦時中は、陸海空軍の弾薬貯蔵補給基地、終戦とともにすべての弾薬は大島海峡沖に廃棄された。   高倉のある春景 昭和35年(1960)頃 田中一村記念美術館藏。バリを彷彿。  「漁樵對問」昭和34-35年(1959-60)頃 田中一村記念美術館蔵 奄美初期に . . . 本文を読む

「田中一村 かそけき光の彼方」荒井曜 書き抜き

2024-11-13 | 紀行 日本
患者の置かれた状況の悲惨さに心を痛めたが、一村の興味はすでに小路の両側に迫りくる植物の 有様に奪われていた。いったい何種類の植物が、この森の植生をかたちづくっているのだろうか。  中心が空洞になったアコウの巨木が並んだ道の向かいには、これまた大きなイヌビワが青々した葉 を茂らせている。 人が隠れられるほど大きな緑葉を丸テーブルのように広げているのは、不喰芋だ。 . . . 本文を読む

森村誠一展 町田ことばランドに行ってきた

2024-11-03 | 紀行 日本
森村誠一さんは生前玉川学園の南口付近で時折見かけた。わたしも南口からの家路なので坂をおりるあたりでも出会うことがあった。面識はないので挨拶はしないがアイコンタクトはしていた。(気がする)あるときは今は閉店した増田屋でおそらく編集者達と一緒の場に遭遇したこともあった。北口から近い喫茶店には森村ブレンドがあった。そんなご縁もあり没後一周年森村誠一展に行ってきた。大きなパネルには氏の小説に対する思いが書 . . . 本文を読む

奄美紀行 田中一村肖像画原画に出会う。

2024-11-02 | 紀行 日本
奄美では蝶は霊だと。 Tさんのお家にあった田中一村の肖像画の原画。なんと奇遇な事だ。東京都美術館で開催中の一村展で印象に残っていた作品。Tさんに似ている。かつて奄美に「なんでも鑑定団」がやってきて出品したとのお話を伺った。鑑定額は250万円だった。 同じくTさんのお家にあった田中一村の肖像画の原画。一村は千葉で個展を開くために肖像画を描いて金を貯めたが個展は叶わなかった。 奄美の . . . 本文を読む

奄美紀行 田中一村メモ 小名瀬の平家伝説とノロなど

2024-11-01 | 紀行 日本
順不同で補足。 小名瀬の歩道で見かけた棒切れ 先だけ赤く塗られていた。一体なんだろうと興味を唆る。 7つがめ 7つがめの説明     平家の落人なのか「七つガメ」説明があったのだが写真から文字を読み取れない。残念。読み取れるだけ文字にすると。 「小名瀬には代々伝えられている伝があります。・・・すぐに山から下ろしてくれ」と(ノロの)お告げがあり、 場所を動 . . . 本文を読む

奄美紀行 ほのほし海岸の丸石

2024-10-30 | 紀行 日本
奄美名物を昼食に食べてホノホシ海岸へ。荒波によって丸石が出来上がる。世界でも珍しいのではないか。晴れ間に見える美しい海。亜熱帯らしい樹木。弾薬庫入り口。弾薬庫内部入り口。弾薬庫通路。説明書。ススキがことのほか美しい。バリでも見かけた。湾に係留されたヨット。晴れ間に見事なブルーの海。 苔の緑に惹かれて。シュロが元気いっぱい。奄美固有種かな。黒うさぎの糞かな。 . . . 本文を読む

奄美紀行 田中一村終焉の地を

2024-10-29 | 紀行 日本
なんと田中一村の知り合いの子孫の方を紹介していただいた。まさかの縁で驚いている。一村終焉の地 しかし10日住んで料理中に倒れた。かん抜きを抜いて中を覗かせていただく。手前のシートの場所で寝泊まりを始めている。ガジュマルの木が。1人住まいだが狭い。それでも大喜びだったとか。この肖像画は今開催中の田中一村展でも観て印象に残っている。この家で飾ってある原画を見れるとは。同じく。途中こんなのも。平家の落人 . . . 本文を読む

奄美へ

2024-10-28 | 紀行 日本
唐津でうどんの昼食をとる。食堂の親父がテレビ画面の囲碁中継を見ながら「碁は好きか どこから来たか 私は秋田から唐津にきた」と話かける。碁会所まで往復1万円使ってくる爺さんもいる、一緒に碁をうつのが楽しいなどとにこやかに語り続ける。そのせいか友は携帯を忘れる。忘れた携帯に電話をかけると「電話忘れてるよ」とあの爺さんの元気な声が帰ってきた。旅はこう言う触れ合いが楽しい。唐津で音に聞こえるおくんち。豊作 . . . 本文を読む

40年前に通った滴翠窯を訪れた

2024-10-26 | 紀行 日本
NTTデータに勤務していた当時ひとときの休息と楽しみを求めて通った陶芸窯を訪れて見た。40年前のノスタルジーにひたる小さな旅。アンリシャルパンティエで腹ごしらえをして芦屋川沿いに向かう。芦屋川から。こんな石組みが目に入る。なんだか記憶が刺激されてくる。クスコの石組を思った。阪急芦屋川は40年前と変わっていない。向かう道にも見覚えが。どんどん登って行くと風景が変わる。芦屋の邸宅が。ついにやってきた。 . . . 本文を読む

居ながらにして旅をする+人間の不幸の唯一の原因は、自分の部屋で静かに過ごすすべを知らないところにある

2024-06-03 | 紀行 日本
2006年に下記のブログを書いている。今日は次の引用を加えてみるとなお一層昨今の楽しみが増える。 人間の不幸の唯一の原因は、自分の部屋で静かに過ごすすべを知らないところにある。 ピンクとブルーのパジャマを着て、自分の寝室という限られた場所の中で満足したグザヴィエ・ド-メーストルは、私たちをそっとつついて、試してごらんとうながすのである  地球の遠い半球に出発する前に、わたしたちがすでに目にして . . . 本文を読む

函館へ 北海道7日目

2024-05-08 | 紀行 日本
函館へ。 大きな駅だ。五稜郭タワーへ。明治維新後にこんな大きなドラマがあった。さらりと流していては歴史の実感が迫ってこない。土方歳三は新撰組副長から脱走幕府軍の幹部となり戦で死んだがどこで死んだかは不明だとか開陽丸模型。オランダから買い付けて日本人が航行してきたが3日で暴風のため沈没。ガラスボードに書かれた説明を丁寧に読んでいく。アメリカ船函館来航。箱館港で交友。 ふむふむ脱走幕府軍とか 北 . . . 本文を読む