今回の東フィル定期は演奏会形式のヴェルディ作曲「オテロ」である。東京フィルハーモニー交響楽団は直近では2017年にバッティストー二の指揮で同じく演奏会形式でこの演目を上演している。一方指揮のチョン・ミョンフンは2013年にこの演目を提げてフェニーチェ歌劇場と来日した。そしてその時のタイトルロールも今回と同じくグレゴリー・クンデだった。そんなわけで今回の演奏者にとっては手慣れた「オテロ」ではあるのだが、その演奏はそんなルティーンワークとは程遠い、魂のほとばしりさえ感じるさせる程の稀に見る秀でた出来だった。オテロを歌ったグレゴリー・クンデはロッシーニ・テナーからキャリアを始めてこの役にまでたどり着いたというキャリアを持っている名歌手で、ロッシーニの権威であるゼッダ指揮する「オテロ」の録音もある変わり種のベテランだ。力強い高音は随所で威力を発揮したが、一方低い声の響きが不足して画竜点睛を欠いたのが残念だった。対するイヤーゴを歌ったダリボール・イエニスは頭脳的な狡猾者といった役作りでオテロの疑心暗鬼を増幅させてゆく。個人的な嗜好ではもう少し嫌らしさが欲しかったところもあるが、しかしこの二人の掛け合いから、一旦歯車をかけ損なった時の人の心の弱さは十分な説得力をもって伝わった。そんな負のループが進行する一方で、初役だという小林厚子は、いくらオテロに蔑まれようと一途にオテロを思い続けるデズデーモナの純粋さを実に感動的に歌い尽くした。癖のない美声にずば抜けた演技力をも併せ持ち、これは世界中どこの歌劇場に出しても称賛を得られる優れたデズデーモナだったのではないだろうか。(これまでも新国本舞台のアンダーには名前を連ねていたこともあるので、役作りは充分にできていたのだと思う)またそんな彼女に寄り添って尽くすエミーリアの中島郁子の歌唱と演技も場面に奥行きを与える優れた出来だった。そして新国立歌劇場合唱団は輝かしい歌声で世界に誇るべき実力を発揮した。もちろん東フィルも名誉音楽監督の統率の下で力強くもしなやかにスコアの細部にまで込められたヴェルディの音楽を深堀りして描き尽くした。こうした優れた共同作業に身を浸していると、「アイーダ」から15年を経て隠遁さえ考えていたヴェルディが再度筆を執って書いたこの傑作の唯一無比の偉大さが心に響く。そしてその傑作は紛れもなくシェークスピア=ボイートの脚本なくしては生まれなかったに違いない。そう思わせたのは今回の本谷麻子の優れた字幕あってのことだ。あらためてその素晴らしさをも称賛したい。
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