2020年にコロナ禍の制約の中、「一人芝居」という形で短縮上演された田尾下哲によるプロダクションの、満を持しての「完全版」上演である。舞台は二段仕立てで、主に奥の舞台では物語の深層が常に描写される。加えてレーヴェンスウッドの泉に伝わる幽霊とおぼしき影が常にルチアの死の象徴として舞台を徘徊する。そのあたりが珍しい趣向ではあったが、それらはどちらかと言うと説明過多で、いささかの煩わしさを感じてしまったというのが正直な私の印象である。そんな労を費やさなくとも演者の力で当日のドラマは立派に出来上がっていた。宮里直樹のエドガルドと伊藤達人のアルトウーロはどちらも美しく輝かしい歌唱でルチアを競い合った。森谷真理のルチアは声質にはちょっとこもる独特の癖はあるものの、鮮やかな技量と持ち前の持久力で万全の歌唱だった。大きな運動量を伴う演技ながら常に安定以上の歌唱を維持し続けたのはたいしたのもだ。大沼徹のエンリーコは序幕では声が出きっていなかったが、それ以降はシャープに実力を発揮した。妻屋秀和のライモンドもいつもながらの安心の歌唱。有名な狂乱の場ではフルートに代わって最初のドニゼッティのアイデアを生かしてグラスハーモニカが使われたが、この楽器の「虚」な響きが常人ならぬルチアの心を見事に描いていた。このところ20年の藤原「リゴレット」、21年の藤原「清教徒」などで舞台を成功に導いている柴田真郁のピットは、冒頭からテキパキとした運びだった。第2部1幕のフィナーレでは激情にかられて歌手ともどもベリスモ的になりスタイルを逸脱しかけたと思われる場面もあったが、2幕ではベルカント的な安定の運びを聞かせた。
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