先日、外務省が出している「渡航情報」で、最も危険度に指定されているシリアでの取材記事が、2015年2月18日の朝日新聞に掲載された、とある。
この記事は、1月下旬に取材した内容をまとめたものだと言う。これに対して記事の内容を評価する声が大きいとある。
果たして、結果が良ければ何をしても許されるのか?取材だから許されるのか?という疑問がある。
取材する側から考えれば、使命だからとか現地の事を伝えなければ、真実が伝わらないなどの事を言う。
この言葉は、一方的な考えだろう。
団体を考えれば簡単にわかる事である。国も一種の団体である。世界と言うが自分の国の事が真剣に考えられない連中が「世界」と言うなと言いたい!
世界は、個々が集まって世界になっている。(その個々が勝手な事をしているから、世界が不安定になっている事が実情だが。)
団体でも、団体行動を取らない輩が1人でも入ると、団体が乱れる。統制が取れなくなる。(人間は個人個人、個性があるが団体の中にいる以上は、団体の決まりと言うか規制を破らない事が、団体行動には求められる。
日本政府が危険地帯で渡航は避けるようにと、通達したのだからこの事を守る事が原則だろう。
現実、日本人が拉致され殺害されている。今回は拉致されすに済んだが、拉致されていたら使命だとか、現地の事を考えれば、などと言えるのか?である。
人間は、自分勝手に考えそれを批判されると、自分の都合のいいように言い訳をする。結果がよかったのだから、と。
渡航情報を通達したのは、次の拉致事件を起こさない処置であり、結果が良くてもいい加減な発言することではない!
自動車を運転していて、勝手に法令を無視して車を走らせ、目的地に無事につき、事故がなかったから良いんじゃない?と言っているのと同じだ!
今回、朝日新聞の取材のやり方は、批判されて当然である。
人間は、自分らに都合のいいように、簡単に考え過ぎる。
報道関係やジャーナリスト達は、自分勝手な主張を繰り広げるより、報道の在り方を政府側に提案する事が筋だろう。
取材が日本に対してプラスになるように、考える事が自分ら(報道関係やジャーナリスト)の立場を確立できる。
拉致された時の覚悟とか、拉致された時の心構えを自分の家族に説明しておく(家族の同意を得ておく・・日本側はテロには屈しないと言う方針であるから、その覚悟も含めて。拉致されれば個人的に身代金要求が起こるとか。)とか、取材する場合現地の警護人をつけるとか、考えることはいっぱいある。
拉致されました。だから助けて下さいと簡単に考えることではない!簡単に考えているから取材の自由などとトンチンカンな事が言えるのである。
取材する側の人は、政府側に拉致された時の考えの提案書を出すのも一案だろう。政府の通達に反して、どうしても行きたいのであれば。
同時に、日本側の取材陣の全体の考えとして、日本の取材人の心構えを。と同時に世界に知らせておく事も忘れずに。
後で、日本は・・と世界でトンチンカンな報道をされない為に。自己責任と言う事を、世界に誤解されないように、表明しておく義務もあります。
以上は、一つの案として描きましたが、家族の同意と国民が納得するような方法で、事を運んでみては?世界に対しても。事前に。
しかし、日本側としては危険地帯の取材を、簡単に許可しない方が良いと思うがね。(本人の自由である!と言う事に全て繋がりかねない状況になるから。)