献血をしたいと思った。
コロナ禍で献血ルームに人が来ず、輸血を必要としている人に血液が行き渡らない、というニュースを読んだ。
たまにショッピングモールなどに献血車が来ているときがある。
そのたびに献血してみたい、と思うのだけど、時間がなくて実行できなかった。
そんなある日、わりと時間的余裕があるときに行った某ショッピングセンターにちょうど献血車が来ていた。
これはチャンス!とばかりに受付をしている特設のブースにそろりそろりと近寄ると、すぐに快活な青年が、「献血ですか?」と声を掛けてきた。近寄ってきた者は逃さないという精神なのだろう。
私はもう捕まったからこれは運命だ、と「はい」と答えた。観念したと言ってもいい。
「ではこちらに座って記入してください」と青年にボードを渡された。
他にも献血希望者が数人いて、少し待たされた。
献血したい人はけっこういるものだとわかった。もしかして私みたいに血液が不足しているというニュースを聞いて集まってきたのかもしれない。もっと閑散としていると思っていた。
「こちら飲みながらどうぞ」別の女性がまだ一文字も書いてないうちに温かいペットボトルのお茶を差し出した。
まだ座っただけなのに、なんてサービスが良いのだ。
住所、氏名、身長、体重などの基本データを記入し、ボードを係の青年に渡しながら、私は気がかりにしていることを聞いた。
「あの、腕を負傷というか痛めていて病院からもらった薬を塗っているのだけど、大丈夫でしょうか?」
そうなのだ。実は1ヶ月ほど前、肘の痛みがとれず整形外科に行った。テニス肘かな、なんてふざけて言ってたのだが、診断は「俗に言うテニス肘」だった。仕事で腕を使いすぎたことが原因だと思われる。
せっかく勇気を出して初めての献血なのにテニス肘で献血できないかもしれない。
「問診のお医者さんがいるので、そのとき聞いてみてください」と係の青年は言った。
問診の前にタブレットで初めての献血の人への説明のビデオを見せられた。
さらに、はい、いいえで答える簡単な問診もあった。
そしてお医者さんとの問診。
お医者さんは若くてとても感じの良い方だった。
「あの、実は、肘を痛めて、病院でテニス肘と診断されて薬を塗っているんですけど、ダメでしょうか?」
こちらから聞いてみた。お医者さんは、「テニス肘ですか、痛いですよね」とテニス肘というワードをすんなり受け止めていた。
「テニス肘はどちらの腕ですか?採血は通常どちらの腕ですか?針を刺すので、普通の注射より痛いんですよ。テニス肘となると…今回は残念ですが、テニス肘が治ってから改めて来てください」
お医者さんは私のことをテニスプレイヤーだと思ったにちがいない。
「そうですか、残念です。また治ってから来ます」
私は決意をして来ただけに本気で残念だった。
係の青年に今回はできないことを伝えると、献血ありがとうございますとキャラクターのシールが貼られたドリップコーヒーを渡された。
えっ私は何の役にも立てなかったのに。
でも登録はしたので一歩前進だ。
次の機会があればぜひ献血をしよう。
私は20代の頃を思い出していた。
いくつかバイトをかけ持ちしたフリーターのような生活をしていた頃、夜はとある小料理屋でバイトをしていた。その店の親方と言い争いをしたことがある。
私が臓器移植意志表示カードを「提供しません」と書いて持っている、という話をしたら、
提供しないと書いて持っていることに何の意味があるのか、
俺も奥さんも全部を提供するに丸をしている、
もし自分の奥さんが亡くなっても臓器を誰かに提供して誰かの体の中で奥さんが生き続けてくれるならうれしい、
というようなことを言われた。
私は、そんなふうには思わない、そんな気持ちは偽善だし、死んだあと誰かのためになりたいとは思わない、と言った。
知り合いにもその話をして、臓器全部提供したら親方からっぽになっちゃうよ、なんて言ってた。
あの頃なんでそんなふうに思っていたんだろう。
まだあのときの臓器提供の意思カードあるぞ?と財布を見たら、「私は臓器を提供しません」に丸をしているカードが出てきた。平成12年と書いてある。
自分が死んだあと自分のおかげで生きていける命があるならその命を救いたい、という心境にいつのまに変わったのだろう。少なくとも平成12年の自分にはそんな気持ちはなかったのだ。
もちろんあの頃は献血しようなんて思ったこともなかった。
まあでも、なぜ私が変わったかなんてどうでもいいことだ。
それで助かる命があるならそれでいい。
私はずっと財布に入ったままだった古い臓器提供意思表示カードを捨てた。