くるりぴょん、くるりこぴょん

忘れっぽいわたしのための記録。何年か先に、振り返ることのできる思い出を貯めるために。

令和二年 初詣

2020-01-16 22:18:00 | 日記
1月3日の8時過ぎに。弟Aくんに、朝ごはんにするか初詣に行くか聞くと。どっちでもと言う。すぐに出られると言うので、箱根の復路はスタート切ったことだし(ゴールしたからではなく(^_^;)出掛けてみた。

お父さんが生きていたうちは毎年3日に家族で初詣が恒例だった。お父さんが長くないとわかって、わたしは埼玉に残り、マイケルとミルキーは静岡へ帰省。そんなお正月が続いている。

お父さんが死んじゃってからは毎年弟Aくんと詣でる武蔵一宮、大宮氷川神社。実家から徒歩でも行けるけれど寒いので車でブーン。この時間だと駐車場も結構空いている。


屋台は準備中だし参道は人がまばらなので、三の鳥居まですぐに着いちゃった。

いつもはこの鳥居の先を半分くらい行ったところから入場規制が始まる。自転車なんて引いて歩けないんだけど。境内をざくざく歩き、神池の橋を渡ると鮮やかな楼門がすぐ見える。

毎年、干支の大絵馬が置かれる舞殿。みんなだいたいここで記念撮影をする。わたしも帰りにAくんと撮った。

拝殿。空いているからお賽銭箱前まですぐに行けちゃう。混雑していると後ろから投げ入れられたお賽銭が頭に当たったり、着ているコートのフードに入ったり。

Aくんは交通安全守りと商売繁盛札、わたしは神棚ないけど神棚札と開運守り。おみくじも引く。今年は二人とも全く同じ吉だった。悪くないぞー!

帰りに甘酒を飲もうと屋台で立ち止まるとおばちゃんが、まだ温まってないんだけど、どうかな?と紙コップに入れてくれた。十分熱いので、このコップの続きで淹れてちょうだいと言ったのだけれど、新しいのをくれたので新年早々得しちゃった。おばちゃん、ありがと!

令和2年、初ご朱印。










自己嫌悪

2020-01-16 18:09:32 | お母さん
外泊許可をもらって自宅マンションに帰ってきたお母さん。

これまではすぐに疲れたと言ってはすぐにベッドに横になり自室にこもる生活だったけれど、老健でのリハビリの甲斐あってびっくりするくらい、姿勢良く椅子に座った。しかも長時間。わたしが相手をするのに疲れるくらい。

食欲は旺盛。お雑煮もよく食べた。

「小さく切ってくれたのか?」
「お正月から親の口に掃除機突っ込みたくないからねぇ」

上司はお正月に義理のお母さんがお餅を喉に詰まらせた時、掃除機を使って助けたと言う。お母さんがもしもお餅を詰まらせたら、背中をどんどんやるより、掃除機を使いたいと思っている。

買ってきたものばかりだけれど、かまぼこ、伊達巻、栗きんとん、数の子、カニ、ローストビーフ、ハム、みかん、オロブロンコ、沢山食べた。そういえば、おでんも食べていた。

オロブロンコとハムを食べているときに、「それ、アメリカのおばちゃんが送ってきてくれたんだよ」と言うと、「誰に?」と返された。
「わたしに」
「なんで?」
「お母さん、お家にいないでしょ」
「そんなバカな」

あれれ?さっきマイケルのお母さんと話していたときは今は施設にいると言っていたのに。

「お姉ちゃん、生きてるかな?もう死んでるか・・・」
「お母さん、さっき電話で話したじゃないよ」
「そうか?」
「そうだよー」

いつものお母さんに戻ってる。と、思いきや。

「やっぱり家がいいな」と始まった。

いつもいるところが家ではないと認識しているのかな・・・

「でも、お正月が終わったらまた帰らないといけないよ」
「どこに?」
「花の〇〇(施設名)」
「嫌だよ」
「嫌でもお母さんはここには一人では居られないよ」
「なんで?なんで4人も子供を産んだのに誰も親の面倒をみないんだ?

始まった。そしてわたしが1番言われたくない言葉。何の為に子供を産んだのか。親の面倒を見させる為に産んだという。

何度も言われて、何度も嫌な思いをしている。わたしは親の世話をするために生まれてきたんじゃない。

「お母さん、くるりもAくんもYも自分たちの生活がある。お母さんと1日ここにいたら、どうやってお金稼ぐのよ。知ってる?世の中、親の介護のために仕事辞めて、貯金切り崩して、最後は親を殺して首括ったり、二人で餓死したり。お母さん、そんなんでいいの?餓死したいの?」
「それは嫌だよ」
「じゃあ、しょうがないじゃん。お母さんは花の〇〇に行くの。ミルキー連れてなるべく遊びに行くから。」
「・・・」

親を言い負かしたところで残るのは嫌な嫌な気持ちになるばかり。

「いいじゃん、お母さん花の〇〇行けば友達いるんだからさー」
「あんなの友達じゃない、そこにいるから話してるだけだ」

そんなこと言ったって無理なものは無理なのだ。わたしはお母さんと引きこもって共倒れは嫌だ。4人も子供がいるのにごめんね。でも、お母さんのためにみんなで協力してるよ。ない知恵絞ってあちこち動いて、みんなに助けてもらって頑張っている。








お母さん電話をする

2020-01-16 13:25:00 | お母さん
元日の午後のこと。

老健から外泊で自宅マンションに戻ったお母さんとエントランスを歩いた。先月半ばのお墓参りの時よりもお母さんはスタスタ歩けるようになっていた。

お母さんは集合ポストが新しくなったことに気付いて。
「ポスト、変わったのか?」
「そうそう、でもAくんは鍵掛けてないからすぐに開くよ」

開けたら年賀状が届いていた。ほとんどがAくんの仕事のお付き合い年賀状ばかりだったけれど、1枚だけお母さんの高校の同級生からのものが混じっていた。

バスケ部時代のお友達。年賀状に電話番号が記載されていたので、確か昨年も電話をした。

煎茶好きなお母さん。老健では麦茶ばかりなので、美味しい美味しいと煎茶がぶ飲み。落ち着いたところで電話タイム。

まずはお母さんのお姉さん。コロラド州デンバーに住むわたしのおばさん。時差はマイナス16時間、まだ起きているはず。

Chuckの留守録案内になっても、構わずぺらぺら喋るとおばちゃんが出てきた。
「Hi !くるりちゃん、おばちゃんですよ!そちらは元日でしょう? Happy new year!」
「Happy new year!おばちゃん、お母さんに代わるね!」
「おー!スミちゃん帰ってきたのー?」
「もしー?お元気?生きてた?」
88歳の姉にまだ生きているかと聞くのも酷い妹。20分ほど楽しいおしゃべり。端で聞いていれば、認知症のボケ老人とは思えない。

さて、お次は年賀状をくれたかつてのバスケ仲間。オカチン。お母さんは今もある横浜平沼高校バスケ部出身。
「わたし?元気!あなたは?」
「会いたいわー、横浜くらいだったらいつでも行くわよ」
「あなた、中心になってみんな集めてよ」
(お母さん、横浜はそこそこ距離あるよ)
「大丈夫よ、息子に送らせればいいから!」
(Aくん、送迎させられるよ)

今度はマイケルのお母さん。
「もーしー?お母さんお元気?」
調子よくぺらぺら喋っていたのだけれど。
「わたし、今いないから。お正月だから帰ってきたけど、お正月終わったらまた帰るから。施設に・・・」と言った。

お母さんはわかってる。お正月だから帰ってきたけれどまた老健に戻ることをわかっている。ボケてるのに。なんだか、とても悲しくなった。なんにもわからないでいてくれた方がいいのに、涙が出た。

最後は近所に住むY子おばちゃん。お母さんの仲良しで入院先にもショートロングステイ先にも、そして今いる老健にも顔を出してくれている。お母さんが会いたいわーと言うと、20分もしないうちにやってきて、タバコを3本吸って帰っていった。友達は良いものだ。遠くの親戚より近くの友達。













先週の社食(2020年1月2週目)

2020-01-16 07:42:00 | 社食

・年明けうどん、黒豆納豆、お稲荷さん
・鰯のつみれ汁、菜飯、お浸し、マンゴーヨーグルト
・ヒレカツ定食、ブルーベリーヨーグルト
・キツネうどん、お稲荷さん、パインヨーグルト、みつ豆

※献立表なくしてメニューうろ覚え。老眼でぼやぼや、何を写しているやら。なんとなくで始動。今年も適当に頑張るぞー!

先週金曜日、お母さんの病院付添があったので、社食は4日分。年明け早々から有給。権利とはいえ、ごめんねって感じ。

品川駅港南口からインターシティ方面。1月5日の朝。


エントランスの受付の生花。写真を撮ってもいいか訊ねたら、お姉さんがどいてくれた。これはテナントで入っている箱根フローリスト作。月に何回か週に何回か忘れたけれど変えてくれているそう。

同僚とマックコーヒー買いに行くのが日課。ここの外国人アルバイター達は頑張っている。バイトリーダーに叱られても、お客に怒鳴られても辞めたりしない。常に笑顔だ。頑張れ!そして見習おう!