くるりぴょん、くるりこぴょん

忘れっぽいわたしのための記録。何年か先に、振り返ることのできる思い出を貯めるために。

新年会流れて、別ルートでごち

2020-01-30 13:04:00 | 外ごはん
部長代理の問題行動から新年会が流れてしまった。予算に余裕があって、今回は豪勢な会になるはずだったのに。その予算はどうなっちゃうんだよう!

ここで気の利く上司ならば、会はできないけれど、「みんな、いつもありがとう!」ということでお土産スイーツ詰め合わせとか、夜の会はできないけれどミーティング名目お酒なしの豪華なランチ会に変更とかになるのだけれども。

一言相談してくれれば、ここに優秀な会社のお金大好き虫がいますです。

部長代理の上長Wさんはそういうの、全く疎くて。「くるりさん、ごめんね、楽しみにしてたのに」だって。わたしだけが食い意地張ってるみたいじゃないか!ケッ!

仕方ない、悪いおじさんに新年会してもらおう!いひひ。

早速おじさんに牡蠣で新年会をしてほしいと連絡すると、2つ返事。
「おう!いいよーいつがいい?」

本当に悪いおじさん、大好き!

連れて行ってくれたのはいつもの THE CAVE DE OYSTER ではなくて、同じ八重洲地下街にある GIGAS というお店。悪いおじさん、新規開拓してくれたようだ。

「年末、みかん、ありがとさん!うちはあれで食い繋がせてもらったよ、美味かった!」

「またまた、ご冗談をー。でも美味しかったなら良かったですー」

エビ鯛狙いではないけれど、年に何回か季節ごとに付届けをしている。半返しにもならない気持ちだけの十分の一返しくらい。

「ところで、なんで新年会流れたの?」

「セクハラですよ、セ・ク・ハ・ラ」 

「誰が誰に?」

「部長代理がAさんにですよう」 

「Aさん?えー?Aさんかぁ?」

「はい、Aさんです、未遂ですけどね」

「あの人(部長代理)も好きだなあ(笑)」

「未遂ですよ。蓼食う虫ってわけでもないんです。かなり酔っていて誰彼構わず抱きついていたんで」

「そういうことか(笑)」

「暑気払いケチったんで、予算多目に残ってるんですよ、来年度の経費削られちゃいますー」 

完全に年度末に増える道路工事の思考だ。

「まあ、いいじゃないの、こっちの方がいいだろ?たくさん食べて機嫌直せ」

そう、確かにこっちの方が、わたしに振られる予算は部とは桁違いで多い。しかも、お土産付き、やっほーい(。•̀ᴗ-)✧


季節のグリーンサラダフルーツドレッシング、生ハムパルマ産プロシュート、クラッカーとなんとかのパテ

寒鰤と柚子のアヒージョ、お代わり

牡蠣尽くしプラッター6ピース
カキフライ2、生牡蠣2、焼き牡蠣(マンゴーチリソース、北海道とろろ昆布)

生牡蠣10ピース産地いろいろ。ほかに撮り忘れたけれど、明太子とポテトのグラタン。

おじさんは痛風なので薬を飲みながらのひたすらビール。生ハムとクラッカーを少しつまんだくらい。締めのグラタンは半分こしたけれど、あとはほとんどわたしが食べました、食べましたー!食べ過ぎましたー!

お土産は叶匠壽庵のあも(冬季限定柚子)とヴィタメールのクッキーチョコレートマカダミア。どれもこれも美味しくて幸せだー!

「今度、△△と○○部長と金剛行かなくちゃいけないんだよ」

金剛というのは御徒町や湯島にある長岡の郷土料理を食べさせてくれるお店だ。お刺身も美味しいし、へぎそばも美味しい。で、厚焼き玉子がめちゃくちゃ美味しいのだ。

「えー?いいなぁ、わたしも食べたいですー!」

「○○部長いるぞ」

「それは嫌ですー、じゃ、次は金剛連れてってください」
 
「おう、いいよー」

まじでおじさんはいい人だ。大好き!早く行きたいなー!







わたしはバカだ(続き)

2020-01-30 00:10:00 | 日記
三の鳥居をくぐった境内には本殿のほかに神社や摂社がいくつかある。自分がバカだったお陰で時間はある。本殿のお詣りを済ませたら他にも寄ってみようということで、まずは脇目も振らずに楼門を目指す。

楼門の手前にある神池には赤い太鼓橋、あまり大きくないのが架かっている。池はいつ見ても淀んだ感じ。池の水、淳が来て一度全部抜いてみたらいいのに。でも、神池だからそんなことしたらバチが当たるかな。

手水舎。去年、ミルキーと京都の貴船神社へ行った時のこと。手水舎で柄杓に口をつけて水をごくごく飲んだり、うがいをしている外国人観光客がいてビビった。日本人でも作法を知らない人はわんさかいるから仕方ないのかねぇ。


鮮やかな楼門。

楼門をくぐるとすぐに舞殿。舞殿には大絵馬が掛かっている。



舞殿周りにある大木。何の木かは知らないけれど、昔からある。時々幹に耳をあてて、木の音を聞いている人がいる。

舞殿の裏側?拝殿側。

拝殿。

ご朱印をいただこうと神札授与所前に並ぶと。ふくろ絵馬?何それ、聞いたことない。インスタ映え狙いかなぁ。
わたしが選ぶならこの緑。

1月3日の初詣のときはご朱印帳に直接書いてもらったし、まだお正月バージョンだったので今日は紙のご朱印。お下がりは飴みたい。

ふくろ絵馬はこんな感じで吊るされていた。武蔵一宮だけあって、威厳が邪魔するのか川越の氷川神社ほど振り切れていない感じ。でも、こんなことしなくても普通の絵馬で十分だと思うんだけど。

太鼓橋に戻る途中。今はなき、埼玉銀行の名前が。埼玉銀行は協和銀行と合併して協和埼玉銀行となり、あさひ銀行に商号変更、そのあと大和銀行と合併してりそな銀行になって。埼玉県内と東京都内の一部店舗は埼玉りそな銀行になったんだよね、確か。もう30年近く昔のことだからうろ覚えだけれども。

平成の初めに付き合っていた彼は三井銀行で内定を受けていたけれど、就職した時には三井住友銀行からさくら銀行になり。その彼の弟は協和銀行で内定をもらっていたけれど、協和埼玉銀行に就職。合併兄弟と呼ばれていたとかいないとか。昔の話。今はどうしているのかな?そろそろ出向しているお年頃。出向先があればだけど。

御嶽神社

門客人神社

松尾神社

鳥居何本だったろう?

稲荷神社

宗像神社

天津神社

額殿にあったアルディージャの奉納絵馬。額殿は江戸時代のものだそうで、耐震補強していると書いてあったけれど怖いから近寄らなかった(-_-;)



お詣りを済ませて、時計を見たらなにげにいい時間。小腹が空いたので団子屋さんへ向かう途中の青竹が爽やかな「氷川の杜文化館」、公民館みたいなものかな。ここは知らなかった。




氷川だんごの甘酒(420円)とお団子二本は梅茶付き(420円)。お団子は外で食べると海苔なしで、中で食べると海苔のついた磯辺団子になる。美味しいよ!

店内から外、参道が見えた。
ここから、また15分歩き大宮駅で弟Yと待ち合わせ、老健へ。

パンも作れず、キャンセルチャージも発生。でも、ゆっくり氷川神社でお詣りできたから良しとしよう!と思った金曜日。





























わたしはバカだ

2020-01-30 00:03:00 | 日記
金曜日の午前中。午後の特養面談の前に実家最寄りのABCクッキングスタジオでカレーパンを作ってお母さんと弟に食べさせてあげるつもりで自宅を早く出た。予定通りに着き、スタジオでチェックインしようとしたらできない。なんでだー?

通りかかったスタジオスタッフのお姉さんに聞いてみる、「予約のスタジオ、ここじゃありませんよ」と。

うえええー?わたしが予約したのはホームスタジオだった。予約確認メール来てたけど、タイトルだけでハイハイわかりましたと確認せず。誰のせいでもなくすべては自分が悪い。

15分後に始まるレッスン。そこへ移動するだけで40分かかる。仕方なくキャンセル。キャンセルチャージは1000円。今度払わなくちゃいけない。わたしはバカだー。

無駄に時間ができてしまった。特に買い物をしたい気分でもなく。実家へ行ってもいいけれど。誰もいないしなぁ・・・3日に行ったばっかりだけど散歩がてら氷川さんにでも行くか。
 
大宮駅構内を抜けて行く。

この銀色のグニャグニャしているのは「まめの木」というオブジェ。待ち合わせに使われる。大宮駅開業100周年と埼京線開業の記念に設置されたもの。どこがまめの木で、なぜまめの木というのかは知らない。とにかく、30年近く前からあると思う。

大宮駅東口を背にして斜め左方向に歩いて行くと15分くらいで最初の鳥居(二の鳥居)に着く。こんなところを歩いていく。






東出くんに見せてやりたい

大宮はアルディージャの町。
該当も神社仕様。

昔はこの辺りに、聖書を読みなさい的なプラカードを持った人がお正月になると毎年立っていたのだけれど、いつの間にか見なくなった。

これが二の鳥居。

一の鳥居はさいたま新都心駅の方。この先ずっと向こう。

二の鳥居のすぐそばにあるお煎餅屋さん。数年前まで開いていたけれど、潰れちゃったのかな。

お煎餅屋さんの反対側のお団子屋さん。ここの甘酒は普通に美味しいのだ。

三の鳥居。さすが、武蔵一宮。平日でも参拝客は多い。

三の鳥居のそばにあるさざれ石。
『国歌に詠まれるさざれ石
国歌発祥の地、岐阜県揖斐郡春日村山中にあったもの』

さざれ石のそばにある戦艦武蔵の碑。
『戦艦武蔵の碑
戦艦武蔵は大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦。
造船所は三菱重工業、昭和17年8月5日の竣工式は広島県呉。氷川神社から6名の神職が出向して執行。艦内神社は氷川神社が分祀され武蔵神社と命名された。
武蔵はアメリカ海軍の航空攻撃を一手に引き受け昭和19年10月24日のシブヤン海に没した。1319名戦死、生存者1329名もマニラ防衛戦に投入され祖国の土を踏めた者は430余名と言われている。』
何度読んでも忘れてしまうので、ざっくりメモをした。

後半へ続く (・◡・)