とても興味深い文章を見つけたので、紹介しておきます。
日本精神分析再考(講演)(2008)
「こう見ると、丸山真男がいう「日本の思想」の問題は、文字の問題においてあらわれているということがわかります。特に「歴史意識の古層」というようなもの、あるいは、集合無意識のようなものを見なくてもよい。漢字、かな、カタカナの三種のエクリチュールが併用されてきた事実を考えればよいのです。それは現在の日本でも存在し機能しています。日本的なものを考えるにあたって、それこそ最も核心的なものではないか。私はそう考えたのです。ところが、調べてみると、不思議なことに私が考えようとしたことを誰もやっていないんですね。どんな領域でも何かをやろうとすると、すでにそれに手をつけている先行者が必ずいるはずなのですが、いない。しかし、実はいたのです。それがラカンでした。」
いやいや、もう一人誰か大事な人を忘れてはいないですかね、柄谷さん。
「彼(宣長)は、思想があって、それを現す為の言葉を用意した人ではない。言葉が一切の思想を創り出しているという事を見極めようとする努力が、そのまま彼の思想だったのである。」(『本居宣長補記Ⅱ』)
日本精神分析再考(講演)(2008)
「こう見ると、丸山真男がいう「日本の思想」の問題は、文字の問題においてあらわれているということがわかります。特に「歴史意識の古層」というようなもの、あるいは、集合無意識のようなものを見なくてもよい。漢字、かな、カタカナの三種のエクリチュールが併用されてきた事実を考えればよいのです。それは現在の日本でも存在し機能しています。日本的なものを考えるにあたって、それこそ最も核心的なものではないか。私はそう考えたのです。ところが、調べてみると、不思議なことに私が考えようとしたことを誰もやっていないんですね。どんな領域でも何かをやろうとすると、すでにそれに手をつけている先行者が必ずいるはずなのですが、いない。しかし、実はいたのです。それがラカンでした。」
いやいや、もう一人誰か大事な人を忘れてはいないですかね、柄谷さん。
「彼(宣長)は、思想があって、それを現す為の言葉を用意した人ではない。言葉が一切の思想を創り出しているという事を見極めようとする努力が、そのまま彼の思想だったのである。」(『本居宣長補記Ⅱ』)