散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

月蝕はサフランの香り

2011年12月11日 | ★デジカメタ坊写真帳

今夜は満月なんだなぁ、と雨戸を閉めながら空を見上げた。
パソコンを起動させると、月蝕がはじまったとの記事を見かけたので、そのピークあたりに空を再び見上げた。

見出し写真は、10日午後11時28分頃。
下の写真は、同日午後11時41分頃。


光学15倍のデジカメを買ったから、拡大して、その違いを見てみよう。
どこか違うのかなぁ?

10日午後11時28分頃の月。


10日午後11時41分頃の月。


月の満ち欠けと気温、太陽の傾き具合、草木の装いを見て、考古の人は季節を判断し、狩猟なり、農耕に励んだ。
長なり支配者は、これを組織的に活用し、占いや予言という形で、いつ狩りに出かけるのか、種を播き、収穫するのかを決めた。
そうすることで、主の地位を守る。
世界四大文明といわれる、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河は、大きく肥沃な河川の広がりに、農耕、定住があったと、世界史の授業で習ったが、天文学と文字による記録について言及はされなかった。

よく、遺跡からの出土物に、暦日の記載があったり、気候の記録を思わせる絵があったりすると、新聞記事に割り込んでくるのは、そこに力による支配だけではなく、文明が存在したと考えられ、独自のものなのか、伝播したものなのかが論じられることになるからだ。
古事記の太陽神=天照大神が岩戸隠れする話があるが、この日蝕をもし予言したとしたら、その予言した人物は神もしくは神の使いとして崇められるのは必然で、日蝕よりも回数の多い月蝕でさえ、予言しただけでも脅威に感じるだろう。
例え予言がされなかったとしても、暗くなり始めた太陽や月が時間が経過するにつれてピークに達し、そしていつか元に戻ると知っていて、“私が復活させてみせる”と宣言しただけでも、予言者とされたに違いない。

私たちでさえ、天文台からの発表があるから、その日時を知る訳だし、日月蝕の仕組みを理科の授業で習っているから驚かない。
地球が丸いとか、自転・公転しているとか、引力・重力のメカニズムもわからない当時、観測と記録だけで、日月蝕の時期を予測したのは、大きな災いが襲ってくると多くの人が信じていたことに尽きる。

月蝕が異端者の仕業として多くの血が流されたことを、薄暗く赤い月を見て思った。


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