散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

1999年のみなとみらい21

2021年09月14日 | ★集メタ坊屋敷ごみ

「未来」とは、何年後をいうのでしょうか?
現役だったころは「50年後、100年後のことを予測するのはむずかしいから、せめて 10年後にどんなよい影響を与えるのかを考えて今何をすべきか考えて行動しなさい」と先輩から教えられました。
横浜の景観を代表するという「みなとみらい21地区」は、その名のとおり21世紀の港の未来を出現させる場所です。
さて、1999年(平成11年)11月のみなとみらいです。
現在から明治の頃まで、横浜港の地形図(今昔マップから引用)の変化からその進化を知ることができます。

工事着工当時、みなとみらいの景観設計は、丘から海に向かって傾斜のあるものでした。

撮影した日は、何かの催しがあったようです。
横浜美術館前はフリーマーケット広場になっていました。

帝蚕倉庫の前には、野毛の住人が潮干狩りや海水浴を楽しんだ砂浜がありました。

赤レンガ倉庫前の貨物線線路は撤去されて、象の鼻地区の整備はこれからです。

この方たちは、みなとみらい地区の先住民かもしれませんが、まだご存命なのでしょうか?


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