散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

ハプニング

2008年08月12日 | ☆たまに娯楽
映画が始まった途端に出ようかと思った。それほど強烈でグロテスクな映像からストーリーが展開していく。R12に指定されているものの、世の中がこう物騒だともうちょっと年齢が高くても(高けりゃいいってもんじゃないけど)と思いつつ、日本とアメリカの死に対する考え方、恐怖映画の娯楽性の考え方の違いのせいなのかな?と無理矢理納得させるのがいっぱいいっぱいの状態で、結局、Mナイトシャマラン監督は何を訴えたいのか?と、スクリーンを凝視しつづけた。
あの「シックスセンス」の衝撃的な結末を、この映画に期待していただけに、何とも割り切れない状態で、かつ気合が入っていたのか、すごく肩の辺りがこわばったなあ、と感じて首を回しながら席をあとにした。
キリスト教では自殺を禁じている。だから、自殺に対して日本人のような寛容さを持ち合わせていない。それが大都市の公園から吹き始めた風により、次々と言語を失い、方向感覚を失い、自己防衛本能を失って、自殺が蔓延し始める。最初は有毒ガスによるテロ攻撃だと思われていたが、攻撃を仕掛ける相手の姿が見えず、その脅威は瞬く間にアメリカ東部全域に拡大する。そして主人公たちのあてのない逃避行が始まる。
キーワードは、高校の科学教師を務める主人公が「ミツバチが全米各地で姿を消している」という話と、黒板に書かれている「ミツバチが姿を消したら、4年で人類は滅亡する」というアインシュタインの言葉。そして、途中まで主人公と行動を共にする養蜂家は「植物には意思がある。自分の身に危機が迫れば、植物も身を守ろうとする」と推理してみせる。1昼夜で事態は終息を迎える。
事件が多発する中では、何でも原因と考えられるものはすべて報道し、あおり立てたマスコミも、原因がわからぬままに街が平穏を取り戻し始めると、危機をあおる学者の意見など一笑に伏してしまうところが象徴的だ。エンディングで暗雲が渦巻いているせいか、暗澹たる気分になった。救いはなさそうだ。
この漠然とした不安が、自殺者の続出する社会をつくっていることも訴えたかったに違いない。

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