国によって建国の過程を異にし、祝す根拠もまた違う。
キューバには、独立戦争開始記念日のほか、革命記念日と解放記念日がある。
チェ・エルネスト・ゲバラ。
反戦運動や労働運動を経験した方ならご存知の、偉大なる革命家の名だ。何故彼が偉大なる革命家としてカリスマ的存在なのか?著作等を読んで深く理解したことがないので、今回、映画化されたというから見に行った。
ゲバラは裕福な家庭に生まれた。医学生だった彼が南米各地を訪ねたことで、米帝国主義が後押しする各国の政府が利権をほしいままにし、貧困にあえぎ搾取に苦しむ民衆の姿を目の当たりにする。そしてマルクス主義に目覚め、カストロに出会い、キューバ革命に身を投ずる辺りから話がはじまる。
この映画はキューバの歴史と革命に至る背景を知らなければ「?」のまま話が展開していくことになる。また、武闘闘争に至るのも、打倒すべき政府がクーデターにより政権を奪取した軍事政権だったこと、そして国民に圧政を強い、不正腐敗が横行していたことを見逃してはならない。
そして、唐突に政府軍基地の襲撃から戦闘に突入していく。ゲバラの代名詞ともいうべき、山間部・ジャングル内を拠点としたゲリラ戦が続く。中でも、ゲバラは読み書きも計算もできない無知が支配者から搾取され抑圧される要因のひとつだと考え、アジトに学校のようなものを備える。また、民衆がその貧困さ故に受けられない医療を施していく。食糧も農民から奪うのではなく買い上げるようにした。故に、闘争心の喪失した者には除隊を認め、未成年者、武器を持たない者の入隊を原則認めなかった。カストロが行う任免に異議を唱えるでもなく「革命は与えられた任務を忠実に遂行していくことで成し遂げられる」と言い放ち、後方での医療活動に専念する。「負傷した者はもちろん、戦死した者の遺体は必ず収容する」ともいい、劣勢となり収容できなかったときの無念さを闘争心に代えるなど、人心掌握術にもたけていた。また、都市部に侵攻することを想定して、反政府の政治勢力と結びつき、政権奪取後の国づくりを念頭に戦略・戦術を組み立てるカストロの柔軟さと指導力も見落とせない。途中、織り込まれるゲバラの国連演説では、アメリカの対キューバ政策が、冷戦時代の対極としてのソ連にキューバが支援を求める結果を引き起こし、キューバ革命が成功した原因=米帝国主義、半植民地政策をアメリカが改めない限り、他国でも革命が起こりうることを「祖国か、死か」という言葉に託す。そして、首都ハバナへ。そこへ向かう途上、地方役人から取り上げたというオープンカーで、ゲバラの乗ったジープに追いつき、追い越そうとする同志を見咎めたゲバラがいう「チェ(ゲバラの愛称)と気安く呼ぶな、ハバナへ行きたかったら、その車を返してきて、ジープか徒歩で来い」。
そこまでが第1部「チェ28歳の革命」。
第2部「39歳別れの手紙」は、その題名どおり、要職の身から姿を消したゲバラの手紙をカストロが公に読み上げるところから始まる。ゲバラはボリビアに潜入し、山間部奥地に拠点を築き、キューバ人を主体とした部隊を編制する。しかし、キューバ革命と事情が違うことに気付かされる。キューバ革命時には、そのほとんどがキューバ人の中、ゲバラがアルゼンチン人であることを、第1部では要所要所の会話の中で触れているものの「同志」という呼称でカバーしているのに対し、第2部では外国人であることで、ボリビア人同調者が得られないだけでなく、支援するはずのボリビア共産党との共闘も断たれる。また、その歴史とともに政権の混乱が続く中で、すでにボリビア革命があり、農地解放が行われていたことが、革命に望み無く、土地に執着する農民の心を捉えることができず、解放軍を多く組織できなかった要因としているように見える。また、国民のほとんどがローマカトリックという背景から、農民が宗教は自由なのか?とゲバラに尋ね、子どもの目の治療をしてもらった際、神に感謝するシーンも何かを暗示している。その上、アメリカにしてもボリビア政府にしても、キューバの二の舞は踏まないように連携に余念がない。しかし、ゲバラの信念と戦略・戦術に変化は見られない。支援・補給も断たれ、連絡を取り合うすべもなくなった解放軍は、分散して活路を見出そうとするが、その包囲網が狭まって行くにつれて消耗していき、ついにゲバラは捕えられ、処刑される。ボリビア大統領が嘯く「キューバの失敗は捕らえたカストロを殺さなかったことだ」と。最後、室内で狙撃者のほかに誰にも看取られることなく息途絶えるゲバラの目線でカメラが映したものは、床と壁と兵士の足のみ。毛布にくるまれ、ヘリコプターの脚に縛られて移送されるところで映画は終わる。
映画は、見る者にゲバラの闘争を追体験させるために、製作されたという。しかし、その真意は何なのか?テレビで頻繁にお笑い番組を放映し、脳天気に笑っている私にとって、日本の建国記念日にあたって考えてみるよい機会を与えてくれたと感謝したい。ぜひ、予備知識を入れてから見に行こう。