散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

「市庁舎第3食堂」オムハヤシ

2011年07月13日 | ☆グルめぐる横浜

それこそ「地下組織へ潜入する」といった形容がピッタリくる。

横浜市庁舎内にある第3食堂は、市会棟の地下にある。
情報公開だ、開かれた市役所だ、といった時代は、すでに過去のもので、個人情報保護法だの、コンプライアンスだのと、秘密主義的な傾向の強い主張が声高に叫び始められた途端に、グッとガードが固くなった。
まず、市会入口の磨りガラスの自動ドアから入らねばならない。
すると、仁王立ちとなったガードマンが立ちはだかり、受付にいるこわもての女性に睨みつけられる。
たいがいは、ここでビビッて退散するしかない。
勝手知ったる人は、地下へ進む階段を指さして、目でサインを送ると、無言でうなずくのを横目で確かめながら、一目散に地下へ走り下りる。
相変わらずの実に殺風景な光景が現れる。
これぞ、まさしく役所の地下食堂だ。

しかし、ずいぶんともの悲しいショーウィンドウ。
サンプルを見ても、メニューの一覧を見ても、こんなにバリエーションがなくなったのかと思うと涙が出てくる。
横浜屈指の老舗レストラン“かをり”が経営しているなんて、だれも思わないに違いない。

本店で食べた、牛ヒレステーキと冷製ビシソワーズの味が忘れられない印象を持っているのと、30年前に第3食堂でよく食べた皿から溢れんばかりの大盛りカニピラフのバターの香りが鼻先をよぎる。
それだけに、この第3食堂を凋落させたのは、誰なのか・・・磔獄門ものである。

もともとは、議員と役職級市幹部が利用する食堂だったと聞いたことがある。
いつごろからか、職員や一般人にも利用できるようになり、市関係者との価格差も撤廃されるに至って、全盛期を迎えた歴史を持つ。
おかげで、部外者の私も気軽に利用できた。
それが今は、昼過ぎだったせいなのか、普段からこの程度なのか、店内に人気もなく活気もなかった。


メニューを見る。
日替わりランチと週替わりのヘルシーランチが600円、ポークカレー、ハヤシライス、オムライス、ナポリタンが530円、オムハヤシ600円(見出し写真)、ポークカツ、トキン唐揚げ、ハンバーグステーキが650円、ポークカツカレー810円。
それに、ステーキランチ1000円とイタリアンランチ800円というのがあるらしいが、このときは休みだった。

ハヤシライスもオムライスも定番人気メニューだったから、オムハヤシを頼んだ。
600円でやっているのだから、その努力に敬意は贈りたい。


もともと、“かをり”は、昭和22年、伊勢佐木町5丁目に喫茶店を開いたことからはじまる。
店内に掲げてある、日本郵船の客船・龍田丸の写真が、“かをり”の洋食が何をルーツにしているかを物語っている。


開かれた市役所というイメージから、砦というイメージに変わったのは、任期途中で投げ出した中田宏市長就任からだった。
ワンマン社長がトップダウンで物事を決め、イエスマンばかりを側近に、意に添わなければ切るわ飛ばすわとやっていれば、物言わぬ組織ができあがるのは、いつの世もどの会社も変わらない。
成果主義を崇拝すれば、権力を持つ者ほど自画自賛する訳で、評価は有権者が下すといっても、まわりは誉めこそすれ、後難を恐れてマイナス評価などするはずがない。
となると、真実のところをどれほどの有権者が知っているのか?
九州電力のやらせメール事件は、マスコミが騒いでいるものの、やっていないところを探して誉めてやった方がいい。
・・・探せればの話だけど。

今回の大震災は、くしくも真の評価が明らかになる、実技試験といえよう。
これまで、何度も言ったような気がするけれど「災害は忘れた頃にやってくる」、万が一に備えて、何をどう整えて維持していくのか?
市町村には「消防」があって、都道府県には「警察」があって、国には「自衛隊」がある。
災害の基本は、最悪の事態を想定して対処する・・・そう何かで習ったのか、本で読んだのかは忘れてしまったが、今回の災害は、どの規模とみて陣頭指揮にあたっているのかは、出動した部隊編制と、避難指示、警戒指示した規模とで推し量られよう。

多くの人が亡くなったり行方不明になったり、そして多くの人が避難所へと避難してきた。
避難所は、役所だったり、学校だったり、公民館だったり、ほとんどが公的施設なのだが、有効に機能しているところはどれほどあるのだろうか?
「衣食足りて礼節を知る」・・・衣類、寝具、暖房、トイレ、医療、入浴、そして食事。
これらを満たすものが備えられている必要性は、大規模災害が起こるたびに指摘されてきた。
なぜ、学校や役場が高台にあったのか、建物は堅牢で、併設される体育館や講堂がなぜあったのか、暖房器具がなぜ常備されていたのか、体育館にはマットがなぜ何枚も積み重ねられていたのか、トイレだって一度にやって来る生徒達を処理できるだけの能力を持たせていたのはなぜだったのか、医務室が完備していたのはなぜか、宿直室や休憩室があって布団や毛布が山積みになっていたのはなぜか、風呂やシャワーを備え、夏冬関係なくプールには水が張られていたのはなぜか、学校給食や食堂があって、なぜ自前で食事を作り、大量に材料を備蓄していたのか、給水もわざわざタンクに入れるようにしたのはなぜか、都市ガスがあるのになぜプロパンガスでなくてはいけなかったのか・・・。
いつの間にか、意味が判らなくなり、「無駄カット」「コスト削減」の名の下に、縮小されるか、無くされるかしてしまった。

このことは、奇しくも旭区に会社があるとき、旭区役所の食堂を利用した時に指摘した
いままでも、ずっと歴史的な考えから、このことを言っていたけれど、たいがいは“考えすぎ”のひとことで誰も聞く耳をもってくれない。
地震や噴火など自然災害が繰り返される日本にあって、備蓄は大切なのに、自然災害の少ない欧米と同じにコストのかかる備蓄をやめて流通にシフトした結果、今回の災害復興に時間がかかるのは致し方ない。
海国・日本では船舶の運搬が一番有効なのだけれど、津波の被害が甚大だっただけに、おいそれとは船に頼れないのも辛い足かせとなっている。


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