散歩の閑人:メタ坊っちゃまのYOASOBI?

若気の至りが過ぎてメタボでも、世遊びは辞められない。

遠望・富士山2020.03.25(スペインかぜ)

2020年03月25日 | ☆撮!富士 #Fuji

流行性感冒をインフルエンザと呼ぶようになったのは、戦後のことでした。

大正7(1918)年から翌8(1919)年に、
世界的にインフルエンザが大流行しました。
世界での患者数6億人、死者2,300万人に達しました。
日本では、8月~翌年7月の1年間で、
患者2,116万8,398人、死者25万7,363人に及びました。
うち東京は、患者142万1,980人、死者1万3,574人と報告があります。

大正9(1920)年秋になると再び流行し始め、
駒込病院分院の本所・大久保の2病院を2か月間臨時に開院して患者を収容治療します。
翌年、第3次流行に見舞われ、
東京では6万余の罹患者が出たものの、特別措置はとりませんでした。
なお、収容する条件には、
「一、流行性感冒ニ罹リ肺炎ヲ発シ又ハ肺炎ヲ発スル虞アル者ニシテ医師ノ治療ヲ受クル資力ナキ者
 一、前記病症ニシテ本市伝染病院使用料条例ニ依ル特等料金(一日金五円)ヲ納付スル者」
 ※大正9年の大工の手間賃は、1日2.9円
法定伝染病収容施設としての駒込病院は、満床状態だったため、分院を臨時開院した訳ですが、
届出伝染病のインフルエンザ患者を収容することは特例中の特例だったのでしょうか?

さて、このとき大流行したインフルエンザを「スペインかぜ」といいます。
第一次世界大戦に参戦した直後のアメリカの軍隊で、
インフルエンザが発症したものの軍事機密として秘匿されました。
参戦国でも罹患による兵力・国力の低下を隠したため、感染が世界規模で拡大しました。
そのとき中立国だったスペインがインフルエンザの蔓延を公表したため、
発症国でないにもかかわらず、不名誉なことに「スペインかぜ」と命名されました。

ちなみに、内閣官房のホームページ(ここをクリック!)に詳細な解説があります。
*****
(和泉川・東山の水辺)ポツポツと咲き始めました。

児童公園の桜も、山桜であれば白い花が満開です。


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