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若宮大路・段葛を避けて?小町通りを鶴岡八幡宮に向かって進む。
昔に比べて、ずいぶんと小町通りには、いろいろなお店が軒を連ねている。
このコロッケ屋にしても、なぜ鎌倉でコロッケなのか、それも立ち食いするのが当たり前なのか分からない。
しかし、子どもは決まり事のように、チョココロッケをかじって、鎌倉へ来たことを実感しているようだ。
つまり、この小町通りを、あちらの店、こちらの店と、確かめるかのように歩く人は、ほとんどがパブロフの犬化しているのかもしれない。
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やっと、正面に回り込んで、鳥居をくぐり、太鼓橋の横を過ぎた辺りで、人波が渋滞し始めた。
とにかく、頭ばかりしか見えない。
黒山(一部、肌色が点々としているが・・・)の人だかりとは、このことだ。
三島由紀夫の“楯の会”といおうか、松本零士の999の車掌のような制服を着た警備員に、本殿到着までの時間を確かめると、「40分かかる」という。
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オールナイトで初詣にやってきた若かりし頃、夜明かしして初日の出を見るためには、延々と何時間も並ぶのは都合がよかった。
これだけの人がいると、寒さを感じないで済むこともあり、うっかり早めに初詣が終わろうものなら、普段の3倍も4倍もの価格の表示してある場末の食堂でラーメンでもすすりながら、時間調整しなければならなかった。
当時は、コンビニも、終夜営業のファミレスやファーストフード店などないから、ここぞとばかりに余り見かけない店が終夜営業をしていた。
さて、八幡宮の参拝は即断念して、するりと源平池に浮かんでいる中島へと渡りをつけた。
ここが、鎌倉江の島七福神のうちのひとつ、旗上弁財天社だ。
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社殿は、昭和55年に、文政年間の古図をもとに復元されたもので、中に安置されていた弁財天像は国宝館に収容されている。
旗上弁天社は、源頼朝が平家滅亡を祈願したとされる。
弁財天は、木造二臂の坐像で裸形に腰布一枚が彫りだしてあるという。
文永3(1266)年に、鶴岡楽所の中原光氏が願主となって、舞楽院に奉安したと右脚裏に刻銘があったことから、重要文化財に指定されている。
しかし、江の島の妙音弁財天も源頼朝の命により勧請されたと伝えられるが、なぜいずれも裸形なのかミステリーとしかいいようがない。
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2> 鶴岡八幡宮「旗上弁財天(社)」ご朱印
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弁天様が出張しているからか、「社」の文字が入っている。
昔に比べて、ずいぶんと小町通りには、いろいろなお店が軒を連ねている。
このコロッケ屋にしても、なぜ鎌倉でコロッケなのか、それも立ち食いするのが当たり前なのか分からない。
しかし、子どもは決まり事のように、チョココロッケをかじって、鎌倉へ来たことを実感しているようだ。
つまり、この小町通りを、あちらの店、こちらの店と、確かめるかのように歩く人は、ほとんどがパブロフの犬化しているのかもしれない。
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やっと、正面に回り込んで、鳥居をくぐり、太鼓橋の横を過ぎた辺りで、人波が渋滞し始めた。
とにかく、頭ばかりしか見えない。
黒山(一部、肌色が点々としているが・・・)の人だかりとは、このことだ。
三島由紀夫の“楯の会”といおうか、松本零士の999の車掌のような制服を着た警備員に、本殿到着までの時間を確かめると、「40分かかる」という。
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オールナイトで初詣にやってきた若かりし頃、夜明かしして初日の出を見るためには、延々と何時間も並ぶのは都合がよかった。
これだけの人がいると、寒さを感じないで済むこともあり、うっかり早めに初詣が終わろうものなら、普段の3倍も4倍もの価格の表示してある場末の食堂でラーメンでもすすりながら、時間調整しなければならなかった。
当時は、コンビニも、終夜営業のファミレスやファーストフード店などないから、ここぞとばかりに余り見かけない店が終夜営業をしていた。
さて、八幡宮の参拝は即断念して、するりと源平池に浮かんでいる中島へと渡りをつけた。
ここが、鎌倉江の島七福神のうちのひとつ、旗上弁財天社だ。
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社殿は、昭和55年に、文政年間の古図をもとに復元されたもので、中に安置されていた弁財天像は国宝館に収容されている。
旗上弁天社は、源頼朝が平家滅亡を祈願したとされる。
弁財天は、木造二臂の坐像で裸形に腰布一枚が彫りだしてあるという。
文永3(1266)年に、鶴岡楽所の中原光氏が願主となって、舞楽院に奉安したと右脚裏に刻銘があったことから、重要文化財に指定されている。
しかし、江の島の妙音弁財天も源頼朝の命により勧請されたと伝えられるが、なぜいずれも裸形なのかミステリーとしかいいようがない。
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2> 鶴岡八幡宮「旗上弁財天(社)」ご朱印
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弁天様が出張しているからか、「社」の文字が入っている。
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