閲覧のみ可能になった大和市図書館・シリウスへ調べに行きました。
上和田・左馬社(ここをクリック!)と同じ、戦国期に和田郷から分かれたようです。
境内地の字地名は「上ノ原」。
祭神 左馬頭源義朝
寛文10(1670)年12月に創建され、近年まで「鯖神社」と称してきた。境内には寛文元年の年号と共に「鯖大明神」と刻まれた常夜灯がある。(中略)この神社が隣接の鯖宮山真福寺持ちであったことがわかる。真福寺は後述のように大正末期に潰れてしまい、この寺と神社のかかわり方についてはよくわからないが、第二次大戦中に供出した神社の釣鐘には「真福寺より寄進した鐘である」旨が刻まれていたという。神社は、昭和5年頃に本殿・拝殿・神楽殿を新築したが、昭和15年頃に焼失。現在の拝殿は倉を利用している。境内には御神木の松もあったが、これもその際に焼失した。(中略)神輿もあったが、昔(おそらく明治時代)流り病がおきたときに、第六天(当時は合祀前で、現在の自治会館の前にあった)の椿の下にうめてしまったといわれている。(中略)信心深い人は毎月1・15日にオサンゴ(お米)をもってお参りする。
『大和市文化財調査報告書第7集 上和田・下和田の民俗』から引用。
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疫病(新型コロナウィルス)の無事な収束を願って、疫病除けにご利益があるという七サバ参りならぬ、十二サバ参りの八社めサバ神社。大和市には、二社のみ。
倉を転用した拝殿
左馬神社の銘がある釣鐘
鯖大明神と刻まれた常夜灯
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」を確認すると、明治の地形図には、左馬神社の東側に「卍」寺マークがあるので、これが真福寺でしょう。
ちなみに、古地図上「下和田」とある北側が「上ノ松」という字地名のようです。
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残りの四サバは、藤沢市にあります。
藤沢市図書館へ行って調べ次第、順次UPしたいと思います。
なお、この十二サバ参りは、3月初めに集中的に参拝したものです。
2 コメント
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- お願い (酔華)
- 2020-08-21 10:38:44
- 杉山神社についても記事を待っています。
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- 水系 (メタ坊)
- 2020-08-27 20:30:53
- 瀬谷区を基点にしていると、相模と武蔵の分水嶺を超えるのには勇気がいる年ごろとなりました。鶴見川水系に点在する杉山神社ですが、渡来人秦氏つながりがあるのでは?と思っています。杉山神社に関する学会とか書籍がいろいろあるようなので、一度は調べてみます。
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